手嶋龍一

手嶋龍一

手嶋龍一オフィシャルサイト HOME » 著作アーカイブ » 2008年

著作アーカイブ

特別対談 「インテリジェンスなき国家は滅ぶ」

~外交官が「歴史」を抹殺しようとするこの国の堕落~

塩野 はじめまして。日本では珍しくインテリジェンスの分野に精通している手嶋さんに一度じっくりとお話を伺いたいと思っておりました。

手嶋 私こそ、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』以来、塩野作品を通じて幾多の人物に出会うことができました。国際政治の現場を取材しながら「外交の真髄は、あのヴェネツィア人たちが紡いできた歴史のなかに隠されている」と実感したものです。

塩野 私は、どうも現代のことには疎くて、もっぱら何百年、何千年も昔の歴史上の男たち相手に取材をし続けてきたんですが、ただ、歴史というフィルターを通すことで現代社会が抱える問題も見えてきたように思います。

手嶋 今日は稀な機会ですから、歴史を縦軸に、インテリジェンスを横軸にしながら、国家とは何か、そして外交とは何かについて、お話させて下さい。

塩野 どうぞ、お手柔らかに。

歴史を裏切る日本外交

 

手嶋 いま日本外交の最前線では、犯罪的と呼んでいい重大な事態が起きています。歴史が書かれていく上で第一級の史料となる公文書が残されていないのです。事故にあって消失したのではありません。第一に重要な公文書が官僚機構の意思であえて消却されている。第二に意図的に公文書を残そうとしない、という由々しき行為がまかり通っている。

『ローマ人の物語』の著者である塩野さんには、誰よりもこのことの重大さがお分かりのはずです。古代ローマや中世ルネサンス時代の歴史の証人とも言える塩野さんは、歴史的な文献を精力的に渉猟されてきたはずです。現代日本ではそれが消えてしまっている事態は想像を絶するはずです。

塩野 それは由々しい事態ですね。私が十五年もかけて古代ローマ帝国の歴史を書き、そして中世のヴェネツィア共和国の時代を書くことができたのも、この両国が記録して残すことに極めて熱心だったからです。

手嶋 実際に何が起きているか説明する前に、歴史を叙述する礎となる公文書をどう扱ってこられたのか、伺いたく思います。

塩野 『ローマ人の物語』を書いたときは、イギリスの歴史家ギボンによる『ローマ帝国衰亡史』やドイツのモムゼンの『ローマ史』といった世評の高い歴史書だけでなく、それ以前に書かれた一次史料である公文書の類も徹底的に読んで勉強しました。

ただし、古代ローマに関しては新資料発掘の段階は過ぎているので、ニュース取材でいう〝スクープ素材〟はもうありません。だから、私が読む史料はアカデミズムの権威が読むものと同じなので、勝負は読み込み方次第なんですね。学者の世界は実証主義がストイックなくらいに求められますが、資料だけでは埋め難い〝歴史の溝〟はどうしても出てくる。そこが狙い目です。

手嶋 その溝を、塩野さんは、公文書を手がかりに、作家の想像力を縦横に駆使して溝を埋めていくわけですね。

塩野 そうです。アカデミズムの世界では禁じ手だそうですが、それはあくまでも二十世紀の規準に過ぎません。十九世紀までの歴史家たちはやっていたことですよ。

手嶋 塩野作品を拝読すると、公文書といった一次史料を、紙背に徹して読み込むが、それに寄りかかっていないことが行間から窺われます。

塩野 私の基本姿勢は、史料のすべてを真実だとは盲信しない、かといって嘘ばかりだとも思わない。様々な史実や歴史的評価を吟味しながら、どちらにも寄りかからないという意味での緊張関係をもって文献と向きあってきました。もし基礎史料に本当のことが記されていないと割り切ってしまえば、書き手の感覚だけに頼ることに陥ってしまう。それでは歴史は書けません。

手嶋 公文書、重んじるべし、しかれども頼るべからず。ところが、いま日本では、その公文書さえ消されようとしているのです。外交官が紡ぎだす公電は、やがて歴史の一部になっていきます。にもかかわらず、自らの保身のために、公電を綴ろうとせず、先達が編んだ文書をシュレッダーにかけるという、歴史に対する背徳行為が行われているのです。

具体的に申しあげましょう。二〇〇二年の秋、小泉首相の電撃的な北朝鮮訪問への過程で、日本政府は「ミスターX」なる北朝鮮高官を窓口に極秘交渉を重ねていました。いま外務省には、その秘密交渉を記した公文書が存在しないのです。公文書が公表されないのではない。そもそも交渉当事者が公電を綴ろうとしなかったのです。機密の保持を名目に、ごく少数の当事者が国家の機密を私有したままです。

これでは将来、小泉訪朝を歴史家の審判に委ねることはかないません。やがて公文書が公開されて後世の批判にさらされることがそれほど怖かったのでしょうか。

塩野 ローマもヴェネツィアも記録を残すことに情熱を傾けました。まずヴェネツィア共和国ですが、彼らの本質が商人国家だからでしょう。つまり世界中の国と通商を結ぶことが国家の基本政策ですから、企業が帳簿や営業日報を付けるのと同じで、正確な記録に立たないと商売も立ち行かなくなってしまう。『レパントの海戦』を書いたときに、ヴェネツィアだけでなく、ローマ法王庁やスペイン王国の記録も読み比べましたが、ヴェネツィアの公文書の正確さと詳細さは圧倒的でした。海戦に参加した細かな人員なども、それこそ一人の単位までヴェネツィア側の文書には残っているのです。

ローマに関しては、紀元前二七〇年のイタリア半島統一以前から、最高神祗官には記録を残す義務が課されていましたし、その後、カルタゴとの戦いに勝利してローマ帝国が拡大していった紀元前一世紀には独裁者スッラが公文書庫を作り上げるほど、記録の蓄積の重要性を認識していたのです。

手嶋 いまのお話をうかがって暗澹たる気持ちになってしまいます。現在の日本では、記録を残すどころか、公文書が極秘裏に破棄されているからです。先達の外交官たちが刻苦して書きあげた公文書を敢えてシュレッダーにかけ、消し去ることまでしているのです。

塩野 なぜそんな愚かなことを? 現役の外交官にそんなことをする権利はないと思いますが。

手嶋 焚書坑儒に等しい振る舞いです。外交機密を歪んだ形で守ろうとしています。直接の引き金になったのは、情報公開法の制定でした。この法律に基づいて公文書の公開が求められたら、お役所は一定の審査を経た上で回答します。公開を不可とする場合、内容こそ開示しないものの、文書の存在自体は認めざるをえません。そのため、文書の存在自体を認めたくないあまり、貴重な公文書を破棄してしまう。これなら「そんな文書は存在しない」と回答できるからです。

アメリカ軍による日本への核持込みに関わる公文書が真っ先に犠牲になりました。後に「非核三原則」と呼ばれる政策によって、日本政府は国内への核兵器の持ち込みを認めないとしてきました。しかし米政府は、核兵器を搭載した艦船の寄港は、この「持ち込み」には含まれないと、曖昧な形ながら日本側に当初から文書で通知してきていたのです。有名なライシャワー発言などをきっかけに、問題が表面化するのですが、こうした経緯を記した重要文書は後に消却されてしまいました。その事実は心ある外交当局者も認めています。

塩野 現実には核を搭載したアメリカ艦船が寄港していたと。これまでも幾度となく疑問視されてきましたが、実際には日本政府が黙認してきた事実が公文書で裏づけされていたのですね。

手嶋 核を積んだ艦船は日本の港に寄港する。アメリカ側はそれとなく通告していた文書で通告していたのですが、日本側は先方のシグナルを読み誤っていたのです。このため外交当局はミスが公になることを恐れたのでしょう。ミスに気付いた後は、核搭載艦船の寄港を事実上黙認するものの、タテマエとしては非核三原則が貫かれているように装う。そうした日米間の黙契が文書でやりとりされていきます。

塩野 しかし、その文書がもはや消滅したのでは、後世の審判を仰ぐことさえできないわけですね。

権力とは何か

手嶋 その通りです。私は、こうした秘密合意の存在を頑なに非難しようと言うわけではない。日本の交渉当事者たちは、米側を嘆息させるほど、見事な英文を書きあげて、日米の秘密合意を紡ぎあげていったのです。その限りでは外交交渉のアートと言えるほど精緻なものでした。日本はアメリカの傘にすっぽりと入って安寧を得ている一方で、唯一の被爆国として核アレルギーが根強い。その相容れない矛盾を外交文書にぎりぎり押し込めて決着を図っていたのです。

日本の非核政策の素顔を映し出した公文書を、いまの官僚が簡単にシュレッダーにかけていいわけがありません。日本外交の実相が投影された公文書が抹殺されていくことに憤りを覚えます。

塩野 その点、ヨーロッパ世界は文書管理が徹底しています。中世スペインで起きた魔女裁判や異端裁判のような残酷な出来事さえ、詳細な記録が現存しているんですね。それは何故かと考えて、わかったことが一つあった。記録を残すのは神に対する義務なんだ。魔女裁判とはいえ、彼らは神のために行ったわけだから、その記録を残すことは神に対する義務だと思っているんだ、と。 

手嶋 いまのままでは、日本は「神なき国家」ということになってしまいます。神に委ねるべき権力が官僚に差配されてしまっています。

じつは私が、北朝鮮製の精巧な偽ドルを扱った『ウルトラ・ダラー』というインテリジェンス小説の筆を執ったのも、日朝の極秘交渉の公的な記録が残されていないことへの憤りからでした。

塩野 たしかに公文書の破棄は権力の悪用です。そんな蛮行を批判するのはジャーナリストの仕事として当然です。

でも、権力には善もあれば悪もあるんです。日本人はすぐに「権力イコール悪」だと決めつけてしまいがちですが、私はそうは思わない。

手嶋 そう、権力についてはあまりにナイーブです。

塩野 私が可能なかぎりの文献を渉猟するのも、当時の権力者と同じだけの情報を得たいからです。『ローマ人の物語』は、カエサルやアウグストゥスといったローマ帝国の歴代の権力者の視点を通した歴史なので、彼らがどんな材料を基にして、どんな決断を下したのか、という点を理解しないかぎり、権力者が物語の中でいきいきと動いてくれない。つまり権力者たちと同じギリギリの状態にまで、自分を追い込んで始めて、彼らの頭の中を想像することができるのです。

手嶋 権力者は、じつに様々な意図を込めて、ひとつの決断を下します。しかし意外なことに、それを分かっている歴史家やジャーナリストは少ないのです。錯綜した意図が織り込まれた権力者の決断を、たった一つの意図に短絡して書いてしまう誤りを犯しています。

塩野 それは権力とは何かを見誤っているからです。

権力は他人の運命を左右しうるものです。その最たる例が、言うまでもなく戦争ですね。戦争は悪です。だから有能な権力者はなるべく戦争を回避しようとし、たとえ戦争になったとしても敵も味方も被害が最小限で済むようにする。しかし、無能な指揮官の下で戦えば、混乱は長引くし、犠牲者の数も膨れ上がってしまう。これは歴史が証明していることです。

手嶋 アメリカがイラクへの戦端を開いたとき、NHKのワシントン支局長だった私は、「ブッシュ大統領は力の行使を決断し」と、権力者を主語にしてニュースを報じました。すると「ブッシュの戦争を支持するのか」と批判を受けました。およそピントの外れた批判なのですが、実は最高権力者を主語にした報道ほど難易度が高いものはない。「大統領は」と報じるジャーナリストは、権力者を怜悧に見つめて距離を置き、同時に彼と同じほど情勢に通じていなければいけないからです。

塩野 そう、権力者は膨大な情報を持っている。その人物を書こうと思ったら、こちらも彼らに負けないくらいの材料を揃えない限り勝負できないのは作家もジャーナリストも同じです。また、相手がそう易々と手の内を明かしてくれないのも一緒です。

以前、『ロードス島攻防記』を書くためにオスマン・トルコに敗れた聖ヨハネ騎士団を調べていたとき、そこの本部を訪ねて基礎文献を見せてくれと頼んだのですが、その史料は「ない」という。ところが、その後のマルタ島を舞台にトルコに勝利した方の記録は残っているから、「あなた、そっちの方を書きませんか」なんて言われました。自分に都合のいい資料しか出さない、どこかの国みたいですね(笑)。

手嶋 いつの世、どんな国にも国益上、表には出せない機密を抱えています。その扱い方によって、国力に違いが生じてきます。

九二年、天皇陛下の初めての中国訪問が固まりました。当時の宮沢内閣としては、公式発表の前に同盟国であるアメリカに内報しなければなりません。それを宮沢・ブッシュの日米首脳会談の席上で行うこととした。ところが日本側のメディアとの間に問題が生じました。外務省は、会談のあとは首脳同士のやり取りをすべてブリーフィングするという慣行を永年続けていたからです。

塩野 天皇訪中は日本国内でもデリケートな案件ですし、対中外交上からも、そんな段階でワシントンで先に発表するわけにはいかないでしょう。

手嶋 困り果てた外交首脳から相談を持ちかけられました。私は「こんどのキャンプデービッド会談のやりとりは、アメリカ側の求めで一切公開できなくなった。しかし、自分の責任で可能な限り話をしたい」として、乗り切ってはどうかと助言しました。これなら、天皇訪中のくだりは秘しても、メディアに嘘をついたことにはなりません。外交にこうした機密は避けられない。にもかかわらず、全てを公表するという呪縛から逃れられないのです。

塩野 その点、歴史上、機密保持がもっとも徹底していたのはヴェネツィア共和国でしょうね。ヴェネツィアはあの当時、ドイツの神聖ローマ帝国、フランス、スペインと並ぶ中世の四強国の一角を占めていましたが、海外に駐在していた領事が帰朝すると、元老院の席上で長大な帰朝報告をする取り決めがありました。その報告には、機密に関する内容も含まれますが、その部分には箝口令を敷いた。当時、元老院は二百人いましたが、この箝口令を完璧に守るんです。彼らは国益とは何かをよくわかっていたのですよ。

手嶋 その徹底した機密保持能力が、ヴェネツィアを小粒ながら強国であり続けさせたのでしょう。

塩野 しかも帰朝報告は、箝口令の部分も含めて全て、膨大な量の文書として後世にまで残されたので、五百年後にこの私でも読むことができたんです。日本も情報立国を目指すならば、これくらいの覚悟がなければ。一方で大事な情報は漏れ、一方で外交文書を勝手に破棄してしまうのでは、やっていることが逆さまです。

あの時代のヴェネツィアの領事こそが、いまでいう世界初の外交官です。通商国家のヴェネツィアは、その相手国に「コンスル」と呼ばれる人材を常駐させて、情報収集をさせていたのですが、次第に彼らを通商相手国でないところにも置き始めた。この「コンスル」、ローマ時代には執政官の意味だったのが、これを機に領事という外交官の官職を意味するようになるのです。

手嶋 通商国家ヴェネツィアの触覚たる「コンスル」は、通商上のインテリジェンスにとどまらず、国際政局に関するインテリジェンスも担っていたわけですね。

塩野 まさにそうです。通商のターゲットはオリエント世界でしたが、出港した船は地中海の南である北アフリカ近海を航行するした。いつ嵐に遭遇して漂着するか分からないし、海賊の襲撃を受ける危険性もある。そういう危機を回避するための保険として、コンスルを常駐させていたのです。

手嶋 インテリジェンスをめぐる活動は、報われることのまことに少ない仕事なのですが、塩野作品には、そんな彼らの横顔が生き生きと描かれています。誰も理解してくれないかもしれない。一切が無駄になるかもしれない。にもかかわらず手間と無駄を惜しまず、上質のインテリジェンスがヴェネツィアに吸い寄せられていったのですね。

塩野 無駄って、長期的にみればすこぶる大切なことですよね。

日米同盟の影が生んだ

手嶋 塩野作品を読んで思わず微笑んでしまうのは、作者の男の見立てがじつにいいからなのです。それは膨大な資料を読み込み、歴史上の人物たちの手腕を知悉しているからだけでないはずです。もともと男の趣味が天性いいに違いないと感じておりました。それを裏づける証拠を『男たちへ』という作品に見つけたのです。

「核の時代の語り部」といわれたポール・ニッツェ翁を「素敵な」と褒めておられた。米ソ戦略兵器削減交渉に臨む翁の姿をテレビ・ニュースでご覧になったに過ぎないのに。その面差しに何か感じるところがあったのでしょう。

塩野 ええ。画面に映った八十歳を過ぎた姿や、落ち着いた話し方に「ああ、ステキだな。ただものではない」と直観的に思ったんですね。

手嶋 若き日のニッツェが戦略家となるきっかけに、日本の敗北が深くかかわっているのです。太平洋上の戦略拠点、真珠湾基地は、連合艦隊の奇襲攻撃を受けて、大きな打撃を蒙りました。しかしニッツェの慧眼は、当時、太平洋戦域では、アメリカの抑止力に巨大な空白が生じていた、ためにアドミラル・ヤマモトを先制攻撃の誘惑に駆り立ててしまったと見抜いたのでした。

塩野 なるほど、ユニークな視点です。

手嶋 一八一二年の米英戦争以来、アメリカ大陸に敵の攻撃を許したことがない米国。ペンタゴンの屋上に高射砲を一基も備えていなかった事実は、アメリカが本土の安全にどれほど自信を持っていたかを象徴的に物語っています。その米本土を国際テロ組織の手に委ねてしまった二〇〇一年の9・11事件を、ニッツェ翁がどう見ていたか、ぜひ聞いてみたかった。真珠湾攻撃と同様に、アメリカの抑止力に巨大な空白が生じていたのではないかと。しかし、ニッツェ翁は、高齢を理由に沈黙を守り続けました。

塩野 手嶋さんは実際にお会いになったんですか?

手嶋 現役の時代には何度もインタビューに応じてくれました。引退後は、ワシントンD・Cの奥座敷、ジョージタウンのPストリートの邸宅で、ピアノを独り弾く姿をお見かけしたことがありました。その風貌には意思の衰えは感じられませんでしたが、正式のインタビューはもはや適わないまま亡くなりました。

でも、ニッツェ翁ならこう考えただろう、と思い巡らすことで、迫りくる未来の危機の足音に耳を傾けようと務めてきました。歴史に思いをいたし、そこから想像力という名の筋力で過去の引力から離脱して戦略の本質に迫りたいと。

塩野 決断を積み重ねることで歴史を創っていく男たちとは、私も同じように切り結んできました。小泉前首相とは在任中に一度、そして退任後に一度お会いしただけですが、二度目のときに「塩野さんは、首相時代の僕の気持ちがどうして分かったんだ」と尋ねられた。私は「会ったこともない二千年昔の男たちを書いてきたんですから、一度でも会えばわかります」と答えましたが(笑)。

手嶋 ワシントン支局長として、小泉首相の外遊先で幾度も一対一でお会いしました。印象的だったのは、いつもは姿勢を正して話をするのですが、話が核心に近づくと、すっと目をつむってしまう。本能的に表情を読まれまいとするのでしょう。一国の宰相はやはりしたたかです(笑)。

塩野 たとえオフレコを条件で会ったとしても、敏腕ジャーナリストの取材は手強いからですよ(笑)。

最近はインターネットが発達したおかげで、人とじかに会ったり、現地を訪れなくても一応の情報はとれます。しかし、私の場合は直接会うなり、行くなりしないと絶対にダメですね。ネットの情報だけでは分からないことがある。例えば大英博物館の所蔵品も、ネット上で調べることも可能ですが、実際に足を運べば思いがけない展示品にも遭遇できる。

手嶋 いまの塩野さんのお話は、インテリジェンスの本質を射抜いています。最も貴重なインテリジェンスは、やはり一対一の対決からしか生まれてきません。

優れた聞き手は、相手に喋りたいと思わせる魅力を秘めています。そんな聞き手は、精緻な読解力を内に持ち合わせています。そもそもインテリジェンスの九割は、すでに公開されている情報に基づくものです。賽の河原に転がる小石を思い出して下さい。その中からダイヤモンドの原石を探しだすようなものです。泥まみれの小石一つひとつを磨きあげ、まずはキラリと光るものを探しだし、今度はその真贋を確かめる。

塩野 膨大な史料を渉猟するのも同じです。光るからといって、全てがダイヤとは限りませんからね。

手嶋 ええ、精巧に作られた偽物はごろごろしています。こうして厳しい真贋の鑑定をパスしたダイヤの原石だけが、極上のインテリジェンスになるのです。

そして、極上品だけを扱うポンテヴェッキオの宝飾店はひっそりとしていても、一流の客筋を持っているはずです。極上のインテリジェンスを持つ人間には、これはという情報が集まってくる。そうやって吟味した一級のインテリジェンスを、これはという相手にぶつけると、一層の磨きがかかり、悪魔の領域といわれる未来の予測も可能になります。

塩野 でも日本は、真の意味でのインテリジェンスを活かせる国なのでしょうか。

手嶋 インテリジェンスとは、単に極秘の情報を指すのではなく、国家を率いる者の決断に資するものでなければなりません。その意味で、世界第二位の経済大国である日本にはインテリジェンスの素材は豊富なのですが、情報を使いこなす指導者が残念ながら十分ではありません。

鳩山法相は、昨年、「友人の友人がアルカイダだ」と発言し波紋を広げてしまいました。法務大臣は、インテリジェンス・マスターともいうべき地位にある人です。そんな立場の人が、テロとの闘いを繰り広げているさなかに、あんな発言をしてはいけません。

塩野 常識非常識というレベル以前の問題ですよ。こんな人たちが権力を握っていると思うと恐ろしいですね。もし仮に、この不用意な発言が基となってわが日本がテロの危険に晒されるようなことになったら、権力者はいったいどう責任をとるのですか。

手嶋 戦後の日本が、かくまでインテリジェンスに鈍感でいられたのは、日米同盟の傘のなかで安逸をむさぼっていたからでしょう。アメリカも同盟国の日本がインテリジェンス大国になることを本音では望んでこなかった、ということなのです。

塩野 日米同盟に光と影があるとすれば、骨抜きされた日本のインテリジェンスの現状は、まさに影の部分ですね。

手嶋 かつてフランスのド・ゴール大統領は、「超大国と安全保障同盟の契りを結んだ国家は、いつしか国際秩序の構築に向けた関心を摩滅させてしまい、やがて衰退する」と自戒を込めて語ったことがありました。ド・ゴールの予言は、今日の日本の姿を言い当てています。

塩野 戦後はたしかにそうかもしれませんが、日本だって日露戦争での諜報活動では一定の成果を残しましたよ。

手嶋 明治期の日本は、『城下の人』を残したあの石光真清をはじめ一級のインテリジェンス・オフィサーを輩出しています。石光は陸軍の軍人としての栄達を投げ捨て、写真技師などに変身して、満州からロシアを流浪し、対露インテリジェンス活動に挺身しました。彼らの情報を存分に役立てたのは、児玉源太郎のような首脳陣でした。

列強に囲まれた若き明治国家が、生き残るためにどれほど必死で、インテリジェンス能力に磨きをかけたことか。日本人のなかにはそうしたインテリジェンス能力の遺伝子がしっかり刻まれているはずです。アメリカとの同盟が、そうした能力を退化させてしまった面は否めません。

米国型か、英国型か?

 

塩野 ワシントン生活が長かった手嶋さんにあえてお聞きしますが、アメリカって国のこと、お好きですか?

がっぷり四つに組んで付き合う価値のある国でしょうか?

私はイタリアで四十年近く暮らしながらヨーロッパの歴史を書いてきました。その間、取材も含めてあちこち外国を旅しましたが、アメリカだけは行ったことがないのです。

手嶋 うーん、難しい質問ですね(笑)。もはや、好き嫌いの域を超えた深い付き合いになってしまった国ですから。

私自身は、アメリカのよき伝統をすんなりと受け入れられる環境で育ちました。フロンティア・スピリットが残っていた北海道の出身ですので、ニューイングランドの自立したピューリタンたちが育んだアメリカン・デモクラシーを比較的すんなりと受け入れることができました。

独立を宣言して国家を創ったアメリカの外交には、ふたつの背骨があるといわれます。欧州の汚れた権力政治に関わりたくないという孤立主義の伝統。いまひとつはアメリカ流の民主主義を圧制にあえぐ地域に広げていくというウィルソン主義。そのふたつの潮流が交互に噴出するのがアメリカです。イラク戦争を主導的に推し進めていった「ネオコン」は、まさに後者の流れを体現していました。「義を見てせざるは勇無きなり」とばかり、イラクへの力の行使にブッシュ大統領を駆り立てていきました。

塩野 そもそも私は、アメリカはイラク攻撃をすべきではなかったという考えですが、戦争は始めた限りは勝たなきゃいけない。だから百歩譲って停戦まではよしとしても、戦後処理のやり方が杜撰すぎましたね。いつまでも戦闘状態が続いていて、いつ真の終戦が訪れるのか、目処も立たない。

手嶋 たしかにバクダッドは簡単に落としましたが、戦後の治安の回復には、開戦から五年近くが過ぎてもなお十分な見通しが立っていません。戦後の統治は、戦争以上に指導者の叡智が求められるのですが、ブッシュ大統領のアメリカはそのことに深く思いを致していませんでした。
イラクの戦後統治に日本の占領政策を研究したなどいうお粗末さには言葉を喪ってしまいます。

塩野 天皇の存在一つとっても全然ちがいます。我が日本をどうしてそこまで愚弄できるのか、という話です。歴史への無知もここに極まれりですよ。

ブッシュ大統領やライス国務長官を筆頭に、アメリカの政権中枢にいるのはイエール大やプリンストン大などで学んだ超エリートでしょう。その彼らが、国家の存亡をかけた局面でどうしてこんな初歩的な誤りを犯すのでしょうか?

手嶋 ベトナム戦争に迷い込んでいったアメリカの悲劇を描いた『ベスト&ブライテスト』の著者、ハルバースタムは、「彼らは所詮ヨーロッパのことしか知らない田舎者だった」と述べています。そして、一九三八年のミュンヘン会談の宥和主義の反省から、ついベトナムでも力の行使に迷い込んでいったと指摘しています。

塩野 ハルバースタムの批判には、半分の真実があると思いますが、残りの半分には不満ですね。当時の米政権の中枢が学ぼうとしたのは、ヨーロッパの「歴史」では決してなく、ヨーロッパが経験した「近過去」にすぎません。たかだか数十年前の出来事を歴史と言い切ってしまえるほど、ヨーロッパの歴史は短くありませんよ。

手嶋 確かにアメリカの権力者は、重大な決断を迫られる局面になると、欧州の歴史書を紐解くといわれます歴史の教訓には学ぶべきですが、歴史は安易に繰り返すわけではありません。「ネオコン」の掲げるアメリカの善意なるものは理解できないわけではありませんが、それを現実の世界に持ち込むことは大きな危険を伴います。

塩野 個人的に付き合うレベルならば「いい人」なのかもしれませんが、彼らが権力者となれば話は別。「善意の権力者」ほど危険なものはありませんからね。

そのアメリカと比べれば、私はイギリスの方に断然、親近感を覚えてしまう。付き合うならイギリス男ですよ。

手嶋 同感です。ですから『ウルトラ・ダラー』の主人公は、イギリスのインテリジェンス・オフィサーなのです。イギリス紳士はだいたい趣味がいいんですが、唯一の難点がパブリックスクールの時代に寮生活を送るので……。

塩野 ホモになっちゃう、と?

手嶋 いえいえ(笑)、まずい食事に慣れてしまい味覚の繊細さに欠けることですね。

塩野 なるほど(笑)。もう一点イギリス男の欠点をあげれば、体格が貧弱なことです。でも、それを補うためにスーツが考案されたわけだから、良しとしましょう。

いずれにせよ、イギリスという国は、紳士的で大人の印象を与えてくれる。そのイギリスを体現してたのがブレア前首相です。ブレアのスピーチは、まず言葉を大事にしていた。そして、対峙する相手に向って説得する姿勢から、情熱と誠実さが伝わってくる。そこがアメリカのリーダーとの最大の違いです。

手嶋 9・11事件後にブレア首相がアメリカ議会で行った演説は、いまも鮮やかに憶えています。一語、一語に込められた言葉の重さ、論理の明晰さ、独自の文体。スピーチとは、テロとの戦いのかくも重要な武器なのかと、全米を感動させました。あの「悪の枢軸」演説のスピーチ・ライター、デビッド・フラム氏も「ブレア演説は歴史の風雪を耐えて語り継がれるだろう」と話していました。

塩野 おそらくイギリスほど、国家として歴史を学び、また個人としても歴史に親しんできた国はないのでしょう。世界史上、最初に本格的な外交を行った中世ヴェネツィアに関する研究が最も盛んで、かつ優れたものが多いのもイギリスです。その蓄積がイギリスに与えた影響は絶対的に大きいに違いない。だから、イギリスに根付いたインテリジェンスは、ヴェネツィア仕込みの老舗の重みと風格もあるのですね。

手嶋 イギリスは、アメリカや日本と比べて、戦後一時期、経済的に遅れをとった時代もありましたが、その時代にもインテリジェンスへの人的投資を怠りませんでした。そうしたからこそ現在も国際的影響力を保っていられるのでしょう。

日本が大人になるには

 

塩野 では、これからの日本はどのような国を目指せばよいのでしょう。日本はアメリカのような武力を背景にした覇権国家を目指す野心もないし、バブル崩壊後の長い不況を経験し、もはや経済大国といわれてもピンとこない。

手嶋 戦いに敗れた日本では、官僚たちが先導して、やがて始まる高度成長期のグランド・デザインを描き続けていました。日本の復興にとって真に求められるものは何か。日々の熱い議論を通じて、戦後日本の青写真が創られていきました。「商人国家論」を説いた旧通産省の天谷直弘さんはその典型でした。時代の背景が異なりますので、較べること自体が意味をなしませんが、いまの官僚たちにはそんな気概は望むべくもありません。

塩野 歴史を書いていて痛感するのは、どんな民族でも必ず危機を迎える瞬間があるということです。そして、そこを上手く脱出した後には必ず成長を遂げている。

もしかしたら、いま日本はその瞬間にさしかかっている時かもしれない。そうだとすれば、日本の手本はアメリカではなく、イギリスなのかもしれませんね。

手嶋 言い換えれば、日本が真の大人の国に脱皮すべき好機なのかも知れません。

塩野 ええ。そのためにも、まずは〝正直な大人〟になること。公文書の管理でも、アメリカやロンドンの公文書館に匹敵するものを作って、そこで一元管理する。その上で、一定期間を過ぎたものは一〇〇パーセント全面公開にしてはどうでしょう。書き残すのが下手で、隠すことさえ上手にできない日本人の習性を逆手にとって、愚直なまでにすべてを明らかにする。

手嶋 なるほど。と同時に、日本は、正直にして、〝したたかな大人〟になるべきです。外交やインテリジェンスの世界で日本に人材が育たないのは、このしたたかさが欠けていたからです。いまのままでは、本格的なインテリジェンス機関などできようはずがありません。最も過酷な状況で、タフな交渉力を発揮できるしたたかな人材は、手強いナショナリストの側面を持っているはずです。

塩野 ヨーロッパで暮らすと、大抵の日本人は愛国者になります。EUという特殊な政治体制の中にいるからなおさらかもしれないけれど、自分を守ってくれるのはパスポートにある「日本」という国だけなんです。

手嶋 国境なき時代といわれる現代でも、究極の危機にあっては、国家の存在は重い意味を持ちます。官にいてもいい。在野にあってもいい。志を同じくする日本の人々が手を結んで緩やかな連携をとる、そんな姿なき戦略指導部があれば、日本も成熟した国として、まだまだ世界に影響力を発揮することができます。

そんな人材を育てるためにも、塩野さんにぜひお出ましいただきたい。男子が励まされ、世にでるには、志ある女性の存在が欠かせません。幕末の祇園や明治期の横浜・富貴楼を挙げるまでもなく、時に厳しく男の見立てを論じる女将の存在は不可欠です。ぜひ「料亭塩野」を開いて、真の先導者を鍛え育てていただきたい(笑)。

塩野 ヨーロッパなら、さしずめ社交界の伯爵夫人の役割かしらね(笑)。

手嶋 ただ、「料亭塩野」の問題点は、女将の眼力に恐れをなして、店の門をくぐる度胸のある客が、果たしてどれだけいるか、ということでしょう。

塩野 そんなこと、考えるだけでも私には荷が重い(笑)。歴史上の男たちの相手だけでもう充分です。

「文藝春秋」二〇〇八年三月号

閉じる

ページの先頭に戻る