手嶋龍一

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手嶋×阿部 「米大統領選を100倍楽しむ」トークイベント

2.『アメリカン・トライアスロン』に潜む罠

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阿部 予備選挙が集中するメガ・チューズデー(今年は2月5日)で、民主・共和両党の本選候補は大勢が決まるというのが一般的な見方ですが、今年は3月のスーパーチューズデーまでもつれる可能性もなしとは言えません。

手嶋 とりわけ共和党は、各馬横一線といった混戦となっています。過去には夏の党大会まで決着がつかなかったこともありますから、デッドヒートから目を離せません。その共和・民主両党の全国大会は「大統領選の華」といわれます。今回は挑戦者である民主党大会から先に開かれます。党の選挙戦略家たちは、この党大会でどんな政策を打ち出すのか、秘策を練っているのですが、まずは誰が大統領候補になるのか、そして共和党の挑戦相手が誰かが分からなければ、どういった政策を打ち出すのか基軸が定まりません。実は各陣営とも党内の予備選の段階では、あまり明確な政策は打ち出したくない、というのが本音なのです。

民主党の候補者選びの段階では、思い切ったリベラルな政策、大きな政府の政策を打ち出せば、党の候補者にはなれるかもしれません。しかし来るべき本選挙で、共和党候補と争う際には、どの党にも属していない無党派層・中間層の取り込みが勝負となりますが、党派色が強すぎれば、これらの中間層を取り逃がしてしまう。ですから、党内の予備選挙では、政策の各論にはできるだけ入りたくないと考えているのです。明確な手形を切らずに予備選を勝ち上がり、本選挙に臨みたいと願っています。

阿部 しかし、今回のような激戦、混戦では本選挙まで本当の政策カードを温存しておくのは至難の業ですね。

手嶋 まさにその通りです。髪の毛一本の差となった2000年の大統領選挙では、ジョージ・W・ブッシュ共和党候補は、ニューハンプシャーの予備選では苦戦を強いられました。このため南部でのスーパーチューズデーに勝ち残りをかけたのです。そのためキリスト教右派が握る大票田に頼らざるを得ませんでした。当初は本選挙での中間層の取り込みを狙って「思いやりの保守主義」を掲げていたのですが、ここで党内の右派にぐんと傾くことになりました。人工妊娠中絶に断固反対し、同性愛者の婚姻にもノーと言い、重要な手形を右派陣営に切っています。それで何とか勝ち上がったのですが、結果的には司法長官のポストまで最右派に渡すことになります。キリスト教右派陣営は、堅い票田を背景に、ブッシュ氏が掲げた「思いやりの保守主義」を絞め殺していったのでした。予備選恐るべし。

阿部 ずっと全米の支持率でトップを走り続けてきたヒラリー候補が、アイオワ州党員集会でまさかの3位。オバマ候補に10ポイント差をつけていた支持率も、ニューハンプシャーの予備選挙前日には逆転されます。メディアはどこもがヒラリーの連敗を予測したのですが、土俵際で粘って逆転しました。私も含め、この逆転劇に驚いた人は多いと思います。いったい裏側には何があったのでしょうか?

手嶋 アメリカのメディアは、財政基盤が弱いこともあって、世論調査の数字頼みでさほどの独自取材はしていません。だからこれほどの激戦では、予測はなかなか当たりません。それに大統領選挙では、じつに複雑な力学が働きます。まず大統領選挙に圧倒的な影響力を持ち、これで飯を食っているといわれるメディアにとって、この一大興行はいま少し続いてもらわなければ困る。何とか接戦をと望む大きな力が働いていると見るべきでしょう。民主党の側も、ホワイトハウスを奪還するために、いま少しメディアを予備選に惹きつけておきたい。ヒラリー候補に簡単に連敗してもらっては困るという力が作用したのでしょう。

阿部 しかしながら、圧倒的な資金力、党内に持つ強固な組織力、全米での知名度。とりわけそうした蓄積が生きるといわれる党員集会でよもやのヒラリー敗北でした。党内のヒラリー候補の支持率下落とオバマ候補の躍進をどう見るべきでしょうか。

手嶋 実は、 2004年のアイオワ党員集会でも同じような現象が起きています。当時の民主党では、ハワード・ディーン候補が優勢で、最終的に民主党の大統領候補に選ばれたジョン・ケリー候補は全くもって冴えない存在でした。スーパーマーケットの前でケリー候補が立っていても誰も気付かない。しかし、ある時を境に、ケリー候補がディーン候補をさっと抜き去ってしまうのです。まさしくアイオワに鷲が舞い降りたのです。
ずっとトップを走ってきたはずの候補者の支持率が急落してしまう。こうした現象を読み解くキーワードは「賞味期限」。米国の大統領選挙は、そのあまりの過酷さゆえに「アメリカン・マラソン」と言われます。実際はあまりに長くてつらい「アメリカン・トライアスロン」と言ったほうがいい。本選挙の1年半も前から走り続けるため、どんなに瑞々しい候補者もメディアの圧倒的な照射にさらされて萎んでしまう。ディーン候補もあっという間に干からびてしまいました。圧倒的な支持率と資金力を誇り、党の中枢を握るヒラリー候補も「賞味期限の罠」から逃れることはできないのです。

阿部 アイオワでの敗戦後の集会で涙を浮かべたヒラリー候補の映像がテレビで何度も流れたことが影響しているのでは、という見方もあります。

アメリカ社会では、リーダーが涙することは弱さの証だと受け取られがちですが、ヒラリー候補の場合はそうはならなかった。有名なタフネゴシエーターの弁護士として知られ、冷たいイメージのあるヒラリー候補を何となく嫌う人は多く、ブッシュ氏の選挙参謀のカール・ローブ氏は、ヒラリー候補が勝てば共和党は中間層を取り込めるからチャンスだ、と言っていたくらいです。そんな彼女にとって、涙は人間味を感じさせ、同情を呼ぶ武器、とりわけ女性の同情を呼んだと言われます。この涙が演出だとしたら相当な賭けだったですね。

手嶋 過去の大統領選挙を振り返ると、涙は命取りになっています。選挙中に妻に飲酒癖があるという記事を書かれたマスキー上院議員は、その新聞社の前で反論しました。そこで悔しさのあまり涙を流したと報じられ、陸海空軍を統率しなければならないアメリカの指導者として適格性に欠けるとされレースから脱落していきました。ヒラリー陣営は、その故事を知り抜いていたはずですから、演出だとしたら、決定的な賭けだったのでしょう。しかし、それほどのリスクを犯すでしょうか。涙ぐんだことが投票行動に影響を与えたにしても、それで逆転劇をすべて説明するのは無理があるでしょう。それにしてもヒラリーという政治家はリング脇に追い詰められると強い。アーカンソー州の知事選で再選に失敗したビルを再起させ、モニカ・ルインスキー事件を乗り切った主軸はヒラリーです。

阿部 対するオバマ候補が掲げる“CHANGE”は、アメリカの心理状況を反映しているように見えます。すでに知事として統治経験があるブッシュ、クリントの両政権がもう16年も続いたので、そろそろ違うタイプの大統領を求める人はかなり多いのではありませんか。

手嶋 バラク・オバマという若者を一躍全米のスターにしたのは、2004年の民主党全国大会という晴れ舞台でした。この若き旗手を満場の聴衆に紹介したのが、ファーストレディ候補のテレーザ・ハインツ・ケリー(ジョン・ケリー大統領候補夫人)でした。彼女は、有名なハインツ・ケチャップ財閥のオーナーにして上院議員だった故ジョン・ハインツ氏の妻だったひとです。将来の有力な大統領候補といわれた夫を飛行機事故で亡くした後は、ピッツバーグでハインツ財団を経営するやり手の事業家です。彼女はモザンビークの出身ですので、ケニア人の父を持つオバマ氏に共感を抱いていたのでしょう。あの演説を間近で聴きましたが感銘を受けたのは僕だけではないでしょう。

オバマ候補は優れた資質をもつ政治家だなと思った場面を思い出します。彼は一貫してアメリカのイラクへの力の行使には大義が欠けていると主張してきました。ある集会で彼の主張を聞いていた年輩の女性が「それでは、イラクで戦死した私の息子は何だったのでしょうか」と尋ねたことがありました。彼は、その瞬間に彼女に駆け寄り「いや、あなたの息子は我が合衆国のために命を落としたのです」と抱きかかえました。それは政治家のパーフォーマンスを超えた、心のこもったやりとりでした。

しかし、一方のヒラリー候補も大変優れた政治家です。とにかく恐ろしく論理的で、2分間のインタビューのなかに沢山の意味を込めることができる。どこの部分を抜き出してもメッセージになるような、進化した英語を操る人です。アメリカではじめての女性大統領を目指す資質を秘めているといっていいでしょう。

阿部 民主党にしてみれば、ヒラリーvs.オバマの接戦を長引かせて、メディアと聴衆の注目を引きつけ、本選挙を有利に戦おうという思惑があるのでしょうね。

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