手嶋龍一

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「尋常ならざる覚悟でCIAの本質を衝いた映画『グッド・シェパード』」

危機を孕んだ巨大な存在は、しばしば穏やかな表情を湛えている。CIAという世界最強の情報機関もその例外ではない。ラングレーにある本拠を訪れてみるといい。メガバンクの本店のようにひっそりと静まり返り、実務が流れるようにさばかれている。映画『グッド・シェパード』は、この情報組織に華々しいドラマを見つけ出したりしない。CIA幹部を演じる主役のパット・デーモンがあまりに無表情なのも故なしとしなのである。スパイ映画に期待されるエンターテーメント性をそぎ落としてまで素顔のCIAの本質を衝こうとしたロバート・デ・ニーロ監督の尋常ならざる覚悟が全編から伝わってくる。

デ・ニーロ監督は、CIAめがけてまっしぐらに剛速球を投げつけた。そのため冗長な背景説明を排している。このため『グッド・シェパード』を十倍楽しむためには、少しだけ道案内がいるのかもしれない。まず「インテリジェンス」が難物なのである。CIAの正式名称にも“Central Intelligence Agencyと書かれているように、この語が隠れた主題となっている。日本ではふつう「情報」と訳される。だが単なる一般情報を意味する「インフォメーション」とは違う。インテリジェンスとは、広大な採石場から原石を選り抜き、その真贋を確かめ、宝石として売りに出すさまに似ている。それは危機に臨む国家の舵取りに役立つまでに精錬されたものでなければならない。インテリジェンスとは、「将来」という名の未知の領域に踏み込むわざなのである。

CIAは、そうしたインテリジェンスを海外で収集する対外情報機関であり、イギリスではMI6と呼ばれるSIS(秘密情報部)がこれにあたる。ジェームズ・ボンドもわがインテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』の主人公スティーブン・ブラッドレーもここに属している。

こうした対外情報機関は、長期にわたって海外の戦略拠点に情報要員を配置するため、それに耐えうる人材をどう確保するかが大きな課題となる。イギリスではオックスフォードやケンブリッジといった伝統ある大学に隠れたリクルーターの教授を配している。 『グッド・シェパード』は、CIA要員の人材供給源として、閉ざされた学生組織“スカル&ボーンズ”を描いている。“スカル&ボーンズ”には、現大統領の父、ジョージ・ ブッシュ・シニアをはじめ、アメリカ社会の選ばれたエスタブリッシュメントがメンバーとなっている。彼らは家柄や背景を互いに知り尽くしたアメリカの支配層なのである。CIAの創設期に、こうした学生組織から人材を求めたのは自然のことだった。

『グッド・シェパード』の冒頭は、キューバのカストロ政権の打倒を目指したピッグス湾事件を軸に展開される。作戦の主力はCIAだった。ときの大統領は若きジョン・F・ケネディ。皮肉なことに、ケネディ家は“スカル&ボーンズ”に象徴される当時のエスタブリッシュメントとは暗黙の対立関係にあった。ブッシュ・ファミリーが、英国系の白人層であるアングロサクソンのプロテスタント教徒を意味するWASPであるのに対して、ケネディ・ファミリーは、アイリッシュ系のカトリック教徒。アメリカの金融や産業を支配してきた伝統的なWASPではなく、ウィスキーの密輸にまで手を染めて巨万の富を築いた新興勢力だった。エスタブリッシュメントとつながるCIA は、ケネディ大統領を巧みな情報で操つり、ピッグス湾侵攻を決断させたのだった。この侵攻計画は惨めな失敗に終わり、ケネディ大統領は「すべての責任はこの私にある」と国民の前で謝罪したのだった。このとき、若き大統領は、これからはCIAの情報に踊らされた政治決断は決してしまいと誓ったのだった。このとき、世界をはじめて全面核戦争の淵に誘い込んだといわれる「キューバ危機の13日間」の足音が遠くに響いていたのだった。

カストロを倒し損ねた大統領。南部黒人層の権利擁護に傾く大統領。産軍複合体と石油マフィアの意向に抗う大統領―。ケネディに憎悪を抱くこうした勢力は、CIAに巣食っていた保守勢力とも結んで、ダラスの大統領暗殺事件の前奏曲を奏でたのだった。

CIAに棲む保守勢力は、ピッグス湾侵攻作戦が破綻したのは、組織のなかに「モグラ」が潜んでいるからだと疑いを深めていく。二重スパイの背後で糸を操っているのはクレムリンだ。 『グッド・シェパード』にはそれを暗示する短いシーン、そうモスクワのカットがフラッシュのように差し込まれている。誰が「モグラ」だったのか。映画では輪郭をあえてぼやけたままにしている。「CIAのカズンズ(いとこ)」いわれるイギリスの情報機関の上層部に大物の二重スパイは隠れていたのである。 主人公のイェール大学時代の恩師が、実はイギリス秘密情報部員だったことがわかる場面は、英米の情報機関の隠微な間柄を暗示している。ここに裏切りの風土が芽生え始めていることを窺わせている。おもわずため息が漏れてしまうほど緻密な構成なのである。

「映画は二度観たときの方がよほど楽しめる」という格言があるが、なるほどと頷ける。『グッド・シェパード』は、こうした堅牢な構築を、一カットも揺るがせにしないディテールで仕上げている。CIAのエージェントが情報(インテリジェンス)をやりとりする場面が登場する。ワシントンD.C.の目立たないチェビーチェイスの街角だった。思わず唾を呑み込んでしまった。われわれも使った情報のマーケットだったからだ。英国情報部の首脳がモスクワの二重スパイであることが明るみに出てモスクワに亡命したキム・フィルビー事件。巨匠グレアム・グリーンは、この出来事に触発されて名作『ヒューマン・ファクター』の筆を執った。だがこれほど静謐に満ち、内省的なスパイ物語を他に知らない。ロバート・デ・ニーロ監督は、撮影カメラを介して、CIAのヒューマン・ファクターに挑んだのだろう。

グッド・シェパード―良き羊飼い。CIAに奉職する者たちも、アメリカの自由に身を捧げるよき公僕たらんと願っているのだろう。だが冷たい戦争が、そんな彼らを罪なき人々に牙を剥く狼に変身させてしまう現実を冷酷なまでにリアルに描ききっている。これをハリウッド映画だなどと言わせまい―こんなデ・ニーロ監督の呟きが画面から聞こえてくる。

「グッド・シェパード」劇場用プログラム(東宝ステラ、2007年)掲載

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