「真の国際人」に求められる資質とは
世界の片隅で起きている悲しみ、喜びを我が事として感じることのできる人
―紺野さんは女優業の傍ら、国連開発計画(UNDP)の親善大使として活動されています。
紺野 UNDP親善大使の任命を受けたのは、今から9年前。当時は、UNDPの存在すら知らず、突然のことに驚くばかりでした。
黒柳徹子さんやオードリー・ヘップバーンさんが国連児童基金(ユニセフ)の親善大使と してご活躍されていることは存じ上げていましたが、親善大使といえば、社会的地位を築 かれた方が社会に恩返しする名誉職のようなイメージ。自分のような若輩者に務まる仕事 ではないと最初は非常に逡巡しました。しかし、こんな私でも何かのお役に立てたらと、お引き受けすることにしたんです。
手嶋 UNDPは、まだお若い紺野さんだからこそ、開発援助の仕事を世界に伝えてくれるはずと期待しているのだと思います。
紺野 年に一度、各国を訪問し、開発援助の現場を視察しています。そこで見たこと感じたことを広く伝え、人々の関心を喚起するのが私の役割です。
大きな爆撃があったとか、悲惨な映像はニュースを通じて世界に発信されますが、地道に復興を遂げている様子はほとんど伝わらない。UNDP自体、非常に地味な仕事を しているので、なかなか注目が集まらないのは残念なことだと思います。
「草の根」の目線で伝えていきたい
手嶋 カンボジア、東ティモール、パレスチナ、あるいはモンゴルなど様々な国を訪問されています。最も心打たれた現場はどこでしたか。
紺野 1999年、親善大使に任命されて初めて訪れたカンボジアでしょうか。プノンペンのジェノサイド博物館を見学したのですが、大量虐殺の記録たるやすさまじく、その場から立ち上がることができないほどの衝撃を受けました。前年に総選挙が実施され、復興への第一歩を踏み出したばかりとはいえ、その爪あとは生々しかった。
手嶋 僕もNHKのワシントン支局時代に、カンボジアから亡命をしてきた人にパリ郊外で会ったことがあります。
その人は詩人にしてかつての政治家で、政治闘争に敗れ、猫13匹と寂しく暮らしていました。彼は大量虐殺の模様を克明に記録した膨大なフィルムを持っていて、僕にも見せてくれた。そこにはもう言葉すら奪ってしまうような悲惨な光景が刻まれていました。
紺野 ポル・ポト派が大量虐殺を行っていたのは70年代の後半。ちょうど私が大学に入学した年と重なります。当時の私はといえば、花の大学生活を満喫していて、最大の関心事といえば、おしゃれやお化粧のことがほとんど。ところがカンボジアでは血の粛清が行われ、罪もない人が何百万人も殺されていた。その時代に同じ地球上で起こっていたことに自分がまったく興味を抱いていなかったことが非常にショックで、打ちのめされました。無関心の怖さを身をもって感じたのです。親善大使に任命されて、自分に何ができるかと考えても、急に英語が身に付くわけでもないし、知識が増えるわけでもない。それならば、自分自身が「草の根」の目線で見たこと感じたことを伝えていくことが私にできることなのではないか、と思うようになりました。まさに、Think globally, act locallyです。
手嶋 紺野さんは今、大変重要なことに触れられました。真の国際人とは、必ずしも英語を話す人でも、海外をくまなく旅している人でもない。世界の片隅で起こっているかもしれない悲劇、あるいは喜びを、我が事として感じることができるかどうか。そんな感性を内に秘めているか、これこそが地球人に求められる資質ではないかと思います。
紺野 そう言っていただけると、ホッとします。あまり無理をせず、自分らしく国際社会に貢献していくことが大事なのかもしれません。
セルフメイドな人物
―手嶋さんの海外経験から、「真の国際人」と呼べる日本人はどんな人でしょうか。
手嶋 どのような局面に遭遇しても動じない信念の人というと、まず思い浮かぶのは国連難民高等弁務官を務められた緒方貞子さんでしょうか。あの方の存在感はずっしりと重い。
紺野 私もお会いして、ゆるぎのない信念がみなぎっている方という印象を受けました。
手嶋 湾岸戦争のさなか、従来の国連の解釈を変えて、イラク国内のクルド人難民に救いの手をさしのべた緒方さんの功績は、前人未踏のものでした。
緒方さんは義塾のご出身ではないのですが、いわゆる学閥や人脈とはまったく無縁に人生を作りあげてきた、まさにセルフメイドの人。そういう方が世界から尊敬される日本人として活躍しているのは若い人にとって心強いことで、たいまつのような存在だと思います。
紺野 真の国際人に必要な要素は何かと考えてみると、やはりホスピタリティーや思いやり、人間的な懐の深さが大切ではないでしょうか。お互いの違いを理解し、尊敬し合って、双方が高めていけるような関係を築いていくことが大事だと思います。
手嶋 戦場や辺境を歩いた経験から申し上げれば、国際社会からの尊敬を集める人というのは、背筋がピンと立っている印象を受けます。いうなれば、福澤諭吉が言っている「独立自尊」の精神が流れている。
江戸末期から明治初期の日本は、欧米列強のなかで、一瞬でも気を抜けば荒波のなかに飲み込まれてしまう。それだけに独立自尊の精神が生まれる素地があった。僕自身、ジャーナリストとして各国をめぐっているうち、独立自尊の精神の尊さを身にしみて感じるようになりました。大学時代にはその偉大さに気づきませんでした。
国際社会で発言できる人材を
―昔から日本人は公の場で意見や考えを発言するのが苦手と言われてきました。私たちは真の国際人 になれるのでしょうか。
紺野 時々、小中学校で講演をする機会があるのですが、時代が変わっても、私が小中学生だった頃と同じように自己主張しない子どもたちが多いように思います。すごくおとなしい。国際競争の時代には、もっと自分の意見を伝えられるようになるべきと思うのですが、現状はあまり変わっていない。
手嶋 日本では依然として「出る杭は打たれる」がまかり通っています。組織の中にいると、もてる能力をきち んと発揮せず、程々に振舞う処世術が身に付いてしまう。日本国内でなら、つじつまが合いますが、このような ことを続けていれば、真の国際人は現れません。
だからこそ、女優として活躍する紺野さんのように、インディペンデントな方が果たす役割はすごく大きいと思 います。
紺野 そう言っていただけると大変勇気がわいてきます。
手嶋 イラク戦争でつまづいた今の米国は大変評判が悪い。だからといって米国を軽視したり敬遠するのは早とちりというものです。
米国は世界中のエネルギーを吸い取り、多くの若者を飲み込んでダイナミックに変貌している。確かに、米国は大義よりも力こそが大切だと信じている節がある。国際法や国連を軽視しているのは周知の事実です。日本は米国の良きパートナーなのですから、今後はそういう行き過ぎたところを諌めていく役割を果たすべきです。
日本もこれからは、世界のために手を差し出すような人材を育てていかなければならない。戦後半世紀は米国に依って何とか経済大国になりましたが、今後は独自の道を見つけなければ国際社会で生き残っていくのは難しいでしょう。
紺野 世界の出来事に対して、すごく興味を持つ人がいる反面、無関心の層も厚いと思います。先日、新聞で「責任も持ちたくないし、出世もしたくない」と考える日本の若者たちが増えているという記事を目にしました。日本の将来を暗示しているようで、少し怖いですね。
手嶋 もしも無関心な人たちが増えているとすれば、世界で日本が独創的な役割を果たしていく余地がなくなります。
もっと誇りと自信をもって
―このままでは日本人は国際社会に取り残されるのでは。
紺野 一昨年、ベトナムを訪問し、炭鉱を見学してきました。現在もベトナムでは主要なエネルギーは石炭であり、炭鉱も大きな役割を担っています。今、ベトナムの炭鉱には、日本で働いていた安全管理の専門家が何人か派遣されています。
炭鉱事故の教訓を生かし、多くの方の犠牲のもとに培われた日本の技術が世界で生かされている、その現場を目の当たりにして、非常に感動しました。これこそ日本の誇るべき技術協力ではないかと。日本は良いことをしていても、あまり知られていなかったりするんです。
手嶋 日本が大国であるのは事実ですから、先導者としての役割を担って然るべきです。日本が戦後、経済 大国になる過程で得た知恵や経験を、積極的に生かしていくべきだと思います。
紺野 私自身も含め、日本はもっと自信を持てと。堂々と、なおかつ謙虚に。日本人はへりくだる癖がついていて表現が下手ですね。「もっと堂々としなさいよ」と自分自身にも言い聞かせているのですが。
手嶋 紺野さんはしきりにご謙遜されますが、ご自身が果たしている役割の大きさに、もっと自信をお持ちになるべきです。
ベトナムの大きなプロジェクトに、日本は多大な資金援助をしています。しかし、肝心のプランニングは米国の大学がやっているケースが多いため、現地の人たちは米国にばかり感謝の意を表しています。ベトナムは経済大国になりつつありますが、そのインフラの重要な部分は、日本の納税者が貢献していることをもっと誇りに思ってよいはずです。
紺野 訪問先の世界各国で日本人に出会います。国連やNGOの人であったり、ボランティア活動をしている人であったり。
手嶋 そういう人たちが日本、そして世界を変えてくれると信じています。静かだけれども確かな変革が起きているのです。
政府やメディアに頼っても世界は変わりません。国際社会の一員となるためには、地球上のどこかで起こっている不条理を、自らの悲しみとして受け止める人々が現状を変えることがいちばんの近道ではないでしょうか。そういうきっかけを育む場所として、大学をはじめとする教育機関はかけがえのない存在です。若い人たちには世界との関わりのなかで自分を変えていってほしいと思います。
紺野 今日の手嶋さんのお話から、たくさんのエネルギーをいただきました。
紺野美沙子(こんの みさこ)
女優、国連開発計画親善大使
1984年慶應義塾大学文学部卒業。1979年映画「黄金のパートナー」で映画デビュー。テレビ・映画・舞台で活躍する一方、著作活動も行う。
1998年国連開発計画(UNDP)親善大使就任。以来、7カ国を視察し途上国支援の重要性を訴える。
手嶋龍一(てしま りゅういち)
外交ジャーナリスト、作家
1974年慶應義塾大学経済学部卒業、NHK入局。1995年ボン支局長、1997年ワシントン支局長を歴任し、2005年6月独立。外交ジャーナリスト、作家として、外交・安全保障問題を素材とした幅広い著作活動を展開。著書『ウルトラ・ダラー』(新潮社)など。
「慶應SPIRIT」誌 2007年No.3号掲載