「インテリジェンスを読み解く30冊」(対談:佐藤優氏)
スパイ小説を中心に
スパイ自身の手による作品も多く、フィクションとノンフィクションの境すら明確にならない。これがスパイ小説の奥深さだ。ロシア、英国、米国、イスラエルを中心に外交の裏舞台を知り尽くした二人が、今、〝スパイ道〟の深淵に目を凝らす
フィルビー事件に触発された秀作
手嶋 インテリジェンス・ワールドを襲った最大の思想的事件、それは英国秘密情報部(SIS)の首脳陣にありながら、クレムリンに西側の最高機密を流し続けた、二重スパイ、キム・フィルビーのモスクワ亡命でした。多くの書き手が「キム・フィルビー事件」に小説やノンフィクションの形で挑んだのですが、二人の巨匠は沈黙を守り続けます。ひとりは、かつて情報部にフィルビーと共に在籍したことがある作家のグレアム・グリーンでした。いちどは出版を決意しながら途中で筆を置き、永い逡巡の末に世に問うたのが名作『ヒューマン・ファクター』でした。読み返す度に「書き手の狙いはここにあったのか」と、はっとさせられる秀逸な作品です。佐藤ラスプーチンが真っ先にこの作品を挙げたのも頷けます。
佐藤 キム・フィルビー事件の、かなり深い本質の部分を突いているように思います。ちょっと怖い作品ですね。
手嶋 そう、主人公のカッスルという英国情報部員が怖いのです。実直な銀行員がいるとすればこんな人と思わせる人物なのです。月並みなスパイ映画の主役対極の物静かな英国人です。彼の穏やかな日々は、ある日を少しずつ狂い始める。物語は一貫して淡々と運ばれていくのですが、そこでは、彼は結局何に忠誠を尽くしているのか、という主題が問われるのです。国家が掲げる自由の理念なのか、それとも愛する妻子なのか。『ヒューマン・ファクター』は〝二重忠誠〟というテーマに向かっています。インテリジェンスと情報部を扱った小説なのですが、そのきりりと引き締まった構成といい、リアリティに溢れた素材といい、老情報大国が生んだ最高傑作のひとつでしょう。
佐藤 崇高な理念を信じる一方で、職場に対する不満であるとか、奥さんとの関係の中での自己破滅衝動とかがかぶさってきて、いい意味でとらえどころがないんですね。そこがリアルだし、おもしろい。僕はキム・フィルビー事件自体、共産主義という「理想」が生きていた時代の話だというような限定の仕方をしないほうがいいと思うのです。なぜならば、形を変えてこれからも出て来うるものだから。今の流れでいくと、イスラームに忠誠を誓う情報マンなんかが……。
手嶋 そうした意味で、この作品は優れて今日的であり、それゆえに読み継がれているのでしょう。
佐藤 誤解を恐れずに言えば、インテリジェンスの世界というのは、決して普遍的なものを追求しているわけではないんですよ。個別的な、自らの群れの利害で動いている。それを何か普遍的なものであるかのように装うのです。そうでなければインテリジェンス活動なんてできないでしょ? 世界平和とか自由と民主主義とか、それは嘘ではないんだけれど、全部本当でもない。
手嶋 そのあたりの機微が実に巧みに描かれています。崇高な理念もひと皮剥いでみると、そこには情報に携わる者たちの素顔が覗いています。フィルビーは二重スパイであることが露見しそうになるとモスクワに亡命して自伝を書いています。自分は決して祖国を裏切ったのではない、革命の思想に殉じたのだと述べています。佐藤さんも僕もそれを額面どおりには受け取っていない。
佐藤 受け取れないですね。真実の一部ではあるでしょう。でも、それこそソ連が崩壊する過程においてキム・フィルビーがどちら側に立ったのかなんて、分からないですよ。
手嶋 フィルビー事件に触発されて書かれたもうひとつの傑作は、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』をです。スパイ小説の巨匠、ジョン・ル・カレは、いわゆるスマイリー三部作として『スクールボーイ閣下』、『スマイリーと仲間たち』を書き、英国秘密情報部に潜むモグラを暴き出す壮大な大河スパイ小説を書き上げました。ル・カレはフィルビー事件に深く思いを致して、この三部作に取り組んだのですが、安易に事件に寄りかかってはいません。やはりグリーンと同様になかなか筆を執ろうとせず、あたかもシングル・モルトが樽のなかで熟成していくのを待つように、存分に時を費やして二重スパイの本質にひたひたと迫っていきました。フィルビー事件をどんな作品より深く抉ったという点で両者は双璧です。
佐藤 ちなみに、十月に日本で封切られた映画『グッド・シェパード』は、明らかに『ヒューマン・ファクター』を下地にしてますよね。薄暗い家から電話をかけているシーンなんて、もろにモスクワ。
手嶋 キューバのビックス湾侵攻事件の失敗をめぐって、では裏切り者がいたという設定になっています。実際にワシントンに駐在していたイギリス秘密情報部員にクレムリンへの内通者がいたのですが、キム・フィルビーにつながる二重スパイの存在が遠景としてこの映画に描かれています。これひとつとってもじつにリアルな構成です。
小説かノンフィクションか
佐藤 アンソニー・マスターズの『スパイだったスパイ小説家たち』。これにはっきりと書かれているのですが、ジョン・ル・カレもグレアム・グリーンも元スパイ。実はスパイという本業と小説家の仕事は隣り合わせで、ここが普通の文学作品との大きな違いでもあります。インテリジェンスは国民の支持がなかったら成り立たない。でも、理解を得たいからといって、工作の実態を実名をあげて具体的に明かすことはできません。どうしても、フィクションという手法を用いざるをえないわけです。
手嶋 この作品の英文の原題は『LITERARY AGENTS』。かつて情報部員だった作家たちの小伝というわけです。ル・カレもグリーンもイアン・フレミンも、いちどはスパイだった経歴の持ち主でした。インテリジェンスの世界に身を置いたゆえに、二重スパイの本質に迫るには、小説という形式こそ最適と考えたのでしょう。ノンフィクションこそが事実を語り、小説は作り物に過ぎないという図式は、ことインテリジェンスの世界では当てはまらない。二重スパイ事件の核心に迫るには、小説こそフラットなノンフィクションより遥かに有力な武器となることを彼らは知っていたのです。
佐藤 それは非常に重要なところですよね。往々にして、一つの事実に対して「ノンフィクション」と小説の間で、非対称の現象が起こったりもする。好例が手嶋さんが書かれた『ウルトラ・ダラー』です。主人公はイギリスの情報機関員で、北朝鮮が作ったとされる精巧な偽米ドル札をめぐる話が展開されるのですが、これは日本において今述べたような「古典的な」手法で著された、稀有なインテリジェンス小説なんですね。第一義的に情報源の秘匿。だから小説という形をとらざるをえなかったのだけど、中で述べられているのは現在進行形のノンフィクション。インテリジェンスの世界で大事なのは、学者がやるような過去の分析や遠い未来の予測ではなくて、マキシマム十五年ぐらい、願わくば二~三年先に対する洞察です。
手嶋 その通りなのですが、情報源を完璧に守り通して、近未来の、ある意味では〝悪魔の領域〟に踏み込んでいくには、かなりの力わざを必要とします。しかも一般読者だけでなく、佐藤ラスプーチンのようなプロフェッショナルの眼に叶うものを書くのはもうこりごりです(笑)。
佐藤 『ウルトラ・ダラー』に対して、ドイツ紙『フランクフルター・アルゲマイネ』の東京支局長だったベントさんという人が長大な「調査報道」を出すんですね。『ウルトラ・ダラー』に書かれているような、北朝鮮に大量の偽札をつくる能力なんてないんだと。あれはアメリカの自作自演なのだと。でも、アメリカという国をちょっとでも知っている人間の目からすれば、それは入り口のところで「却下」という暴論なのですね。何だかんだ言っても、開かれた国なんですよ、あそこは。自分たちのオペレーションのために偽札を超法規的に刷って、もしそれが露見したらCIAの長官から担当者まで間違いなく全員クビ。必要とあれば個人で億円単位の工作費が使える連中が、そんな危ない橋を渡るはずがない。それこそ、〝ありえないノンフィクション〟なのです。しかも、ニュースソースがあやふやですから、調査報道の手法としても疑問ですね。
手嶋 高級紙だから、調査法だからといって、事実が書かかれているわけではない。情報の世界では一瞬も油断が許されません。
佐藤 もちろん、優れたノンフィクションもあるにはあります。例えば、ウォルフガング・ロッツの『スパイのためのハンドブック』。これは本当にすごい本で、何がすごいのかと言えば「ここまで話しちゃっていいのか」というような真実が書き込まれてる。例えば、連絡員同士が手に持った新聞を下げることで安全確認してるとか、尾行は前からすることがあるとか。これって、各国の諜報部員がいまだにやってることなんですよ。ただ、同じ著者が自らの体験を綴ったノンフィクションという触れ込みの『シャンペン・スパイ』のほうは、おもしろいのだけど、やや作り話が多いかなという感じ。例えば、懲罰房にいる時に「彼を助けてやれ」という連絡がモサド(イスラエルの諜報機関)の下のほうの人間から入ったという記述があるのですが、そういう「特別の連絡」を入れてくるとしたら、かなり位が上の人物だろうと。
手嶋 なるほど。その道のプロの目から見れば、おかしいところはたちどころに分かってしまう。一方で、書く立場から言わせていただくと、編集者などから「これはちょっととつくりすぎでしょう」とクレームのつく部分はまさしく事実そのものなのです。書き換えてもいいのですが、そうするとディテール全体のバランスが崩れてしまいます。
佐藤 ああ、分かります、分かります。
手嶋 例えば、『ウルトラ・ダラー』にインテリジェント・オフィサーを育てる鎌倉の学校が登場します。家の外観はピンク色に塗られていると記述したら、「あまりにやりすぎです」と指摘を受けました(笑)。でも、本当にピンクなんです。小説は「真実らしく見せよう」という自己規制が働いて常識に傾く弊があります。しかし事実は賢しらな常識を破砕する力を秘めています。
ちなみに、ジョン・ル・カレのお父さんは詐欺師でした。だから幼少の頃からフィクショナリーな世界に棲んでいて、それこそが現実世界だった。そんな生い立ちがル・カレ作品に色濃く滲んでいます。「もっともらしいところに嘘が隠されていて、怪しく見える部分は実は真実」というスパイ小説の本質を読み解くには、彼の自伝的作品『パーフェクト・スパイ』が最適です。
「東側」の視点
佐藤 スパイ小説が「たかが……」で片付けられない例を挙げましょう。ロシアのプーチンは、『剣と盾』っていうソ連時代のスパイ映画に触発されてKGB(国家保安委員会)に入ったんですよ。十三歳の時に、「スパイになりたいんです」と、サンクトペテルブルクにあったKGB支部のドアをノックする。応対したのが〝いい人〟で、「坊や、本気なら自分から『スパイになりたい』とは口にしないこと。そして高等教育を受けること」と〝指南〟してくれた。彼はその言葉を信じてレニングラード大学の法学部に進み、できるだけ目立たないようにしていた。ある日、「情報の世界に興味はありませんか?」と言ってくる男がいて、という流れ。
手嶋 そんな面白いエピソードがあったのですか。
佐藤 また、ノンフィクションでも現場に強い影響をもたらす作品があります。たとえば、MI5(英保安局)で対ソ防諜の責任者だったピーター・ライトの書いた『スパイ・キャッチャー』です。この作品は、西側に〝キム・フィルビー症候群〟を生みました。英国では、身内がみんな二重スパイに見えてきた。発禁を食らうほどのインパクトでした。結果から見るならばソ連を利しました。
手嶋 そういえば、冷戦時代の「東側」の内情をえぐった作品には興味深いものが数多くありますね。
佐藤 元NHK記者の熊谷徹さんが書いた『顔のない男』。東ドイツ最強のスパイと称されたマルクス・ヴォルフに関するノンフィクションなのですが、十分小説として読める。なぜなら、ヴォルフという素材が、あまりにも小説的だから。十数年にわたって東ドイツのスパイ機関を率いながら、ドイツ連邦情報局(BND)がついぞ顔写真を手に入れることができなかったんですよね。ありとあらゆる汚いことをやるのですが、一方で非常に人間味に溢れたところもあるという、文字通り謎の人物です。
余談ながら、ウォルフガング・ロッツが西側のスパイの手口を洗いざらいしゃべったとしたら、東側でその役割を果たしたのがヴォルフだった。
手嶋 東西ドイツの情報機関の戦いが、いかに烈しいものだったか、リアルに伝わってきますね。ル・カレの代表作『寒い国から帰ってきたスパイ』も東西ドイツの緊張が頂点に達したさなかに書かれたスパイ小説の金字塔です。とりわけラストシーンは……。
佐藤 ベルリンの壁を照らすサーチライトが途切れるその一瞬だけ、乗り越えて西側に逃げるチャンスがあるというシーンですね。クライマックスは読んでのお楽しみということで、お話するのは控えますが。
手嶋 二重スパイ、二重忠誠、そして最後の最後に一緒に逃げようとした女という〝ヒューマン・ファクター〟が顔を出す。ル・カレは「チャーリー・ポイントをサーチライトが照らし出す光景を目にした時、物語が出来上がった」と述べています。
やはりル・カレの作品で『ドイツの小さな町』もぜひお勧めしたいですね。「小さな町」とは、ドイツの首都ベルリンが分断されてしまったため、西ドイツの暫定首都となったボンのことを意味しています。今ではそんな可能性は忘れ去られていますが、冷戦下では統一されたドイツが中立化に向かうことは西側の悪夢でした。そういう時代の空気が匂いたつように伝わってくる作品です。いまの統一ドイツの行く末を暗示しているとも言えます。統一ドイツは、NATO同盟の一員ではあるけれども、ブッシュが政権の命運をかけて突き進んだあのイラク戦争の時には、その前に立ちはだかったわけですから。小説が優れたインテリジェンス・ストーリーを提供して、未来の領域を暗示している格好の例と言えるでしょう。
自らの経験に重なる
佐藤 冒頭で『ヒューマン・ファクター』が怖い作品だと言いましたが、それは自らの経験に重なるからでもあるんですよ。小説は、スパイがいるらしいというので禁足令が出て、突然持ち物検査が行われるというところから始まるのですが、僕の場合は忘れもしない〇二年二月二十二日、急に異動を命じられた。
手嶋 何の前触れもなく。
佐藤 そうです。通常の異動だと。ところが、そこからおかしなことが連続して起こるのです。不要な書類をシュレッダーにかけたら、一週間以上たってから前官房長の飯村豊さん(現・駐仏大使)呼び出されて、「何を隠滅したのだ」と詰問される。そうこうするうちにモスクワ駐在の若手から「佐藤さんに送ったメールが、違う人間に届いている」と連絡があり、ジュネーブにいる元上司からは全部自分のところに来ているぞと。覗き見しようとした人間が、初歩的なプログラムのミスを犯したらしいのですが、組織が自分を嵌めようとしているその不気味さに、あの小説には通じるものがあって、今でも読むとぞっとします。
手嶋 日本を代表するインテリジェンス・オフィサーを不気味がらせるほど、リアリティに富んでいるということですね。 佐藤ラスプーチンこそ二重スパイだという見立てをずいぶんと眼にします(笑)。その道のプロフェナルなら、二重スパイと思われてしまうほど、獣道に深く入り込んでいかなければなりません。情報とは等価交換が原則なのですから。
佐藤 等価といっても、〝立ち位置〟が違うから不等価になるのですよ。例えば、ここにオレンジがある。手嶋さんはマーマレードが作りたいから皮が欲しい。僕は果実が食べたい。だからオレンジの分配が成り立つと。まったく同じものを欲していたら、インテリジェンスの協力関係は成立しません。
手嶋 ここでちょっとスパイ小説から離れてしまうのですが、二重スパイが日本の外務省に潜んでいる可能性はないのでしょうか?KGBの要員だったワシリー・ミトロヒンが九二年に英国に亡命する際持ち出した「ミトロヒン文書」にそれを示唆する箇所があります。日本の外務省には〝大きなモグラ〟がいると書かれています。
佐藤 その内容を裏付ける傍証みたいなものはいくつかあって、例えば女性のスパイがいて、時のアンドロポフソ連書記長から勲章を受けていると、ある雑誌に記事が出た。実際に授与したのは通商代表部にいたロタイという人物で、間違って勲章の針が刺さってその女性が痛がったと、実にありそうなディテールなのですが、僕は信用してない。なぜなら、研修を終えて、モスクワの大使館で働き始めた頃、シベリアで当のロタイに会ったのですよ。酔っ払いのおっさんで、話がどんどん大きくなるタイプ。勲章の話は、どうも怪しいと直感しました。ただし、情報提供をしている女性がいたのは事実だと思います。思い当たる人間がいる。外務省も特定しているのでしょうが、調べないですね、そういうのは。レフチェンコ事件の時に、ナザールというコードネームで名指しされた人間だって、後で一部のマスコミに実名が出てしまいましたが、ロシア語を研修した外交官はそれが誰かを知っていました。いわば「公然の秘密」みたいなものです。
レフチェンコ事件では、他にも彼と付き合いのあった人間がたくさんいます。ソ連側に「乗せ」られて、結果的に変な組織と関係を持ってしまった人もいる。それが原因かどうか分かりませんが、数年前に元大使館幹部が変死しています。おかしなところに深入りしてはいけないという教訓だと、僕は受け取っていますよ。
英国とロシアの共通点
手嶋 キム・フィルビー事件をテーマとした作品群をあげるまでもなく、スパイ小説には英国を舞台にしたものが非常に多い。やはり、英国が世界に冠たるインテリジェンス大国であることを映しているからなのでしょうか。
佐藤 強さとともに脆弱性を併せ持っているところが、おもしろいのでしょうね。みなさん、インテリジェンスの世界も米国型とソ連・ロシア型に分類したがるのですが、実は英国型と米国型なんですね、類型化するとしたら。
手嶋 佐藤さんはよく「モスクワのインテリジェンスはSISの亜流だ」と指摘しています。
佐藤 そう思います。米国と戦っているうちに鏡に映った像として米国の手法を少しずつ「学び」、KGBがだんだんCIA化してくるという面はあるんですが、ベースのところはSIS。
手嶋 SISとCIAの一番大きな違いは、どこなのでしょう?
佐藤 簡単に言えば、SISのやり方というのは一人の訓練された人間が分析も実際の工作も含めて、あるミッションの全体にかかわるわけですね。
手嶋 結果として、インテリジェンスの全局面に触れることになる。
佐藤 そうそう。だから万が一、そういう人間が寝返ったら決定的な打撃になる。そうならないように、ロシアの場合なんかは「スメルシュ」っていう、「貴様をぶっ殺す」という専門の部隊までつくって裏切りを防ごうとしているのです。ロシアの情報機関の人間たちは、何かあったら殺されると、これはある意味織り込み済みなんですね。基本的に英国も同じ。米国では、こういう「超法規的行為」に対するハードルが、両国に比べると高いですよね。もう一つ、英国とロシアが似ているなあと感じるのは、家族をものすごく大切にするところ。
手嶋 なるほど、そうなのですか。
佐藤 インテリジェンスと関係ないように思えるかもしれませんが、ロシアでなぜ女性を使った工作に敏感かというと、もし愛し合うようになって子どもでもできたら、国家を取るか家族かという時の結論が明らかなんですね。まず、家族を取るだろうと。だから、非常に注意する。
手嶋 まさにヒューマン・ファクターですね。
佐藤 英国もやっぱり似てるんですよ。でも、ドイツとか中国だとかは違うでしょ? 家族より、自らの属する組織に対する忠誠のほうが強い。だからソ連と東ドイツを比べると、東独のほうが積極的に女性を使った工作を仕掛ける半面、自分たちがやられてもあまり動じないという傾向がありますよね。これはもう、文化の違いとしか言いようがない。
手嶋 ロシアの文化ということに関しては、一九二九年、ソ連を探訪中に消息を絶った日本人ジャーナリスト、大庭柯公が著した名著『露国及び露人研究』があります。
佐藤 これは「寝台から起きる時は右足から先に下ろせ」とか「黒いゴキブリの夢を見たら許婚ができる」とかいう彼の地の迷信から、「露国婦人の貞操問題」すなわち貞操感覚は極めて希薄であるなんていうことまで、実に詳細なまさに研究レポートで、そういう意味でスパイ小説としても読むに耐えうる作品ですね。資料的な価値も高いもと思います。ただ、彼は首を突っ込みすぎてボルシェビキに捕まって殺されてしまった。
手嶋 柯公が訪れたのは革命の後、まだ日の浅かったロシアでしたが、ペレストロイカが進む崩壊前夜のソ連を舞台に東西の情報戦を描いたのが、ジョン・ル・カレの『ロシア・ハウス』でした。ル・カレはゴルバチョフ政権下で、サハロフ博士にもインタビューを試みています。
佐藤 あと〝ロシアもの〟では、経済破綻した「近未来」ロシアに題材を求めた、フレデリック・フォーサイスの絶筆『イコン』が、息をもつかせぬ展開で読ませます。
手嶋 最後に日本に関連したものに触れる前に、『DMZ(非武装地帯)』(イ・キュヒョン)の読みどころを聞かせてください。
佐藤 韓国兵と北朝鮮兵が撃ち合いをして双方にけが人が出るんですけれども、事実を調べていくとどうもおかしいと。実は現場で両者が口裏合わせをしてる。韓国のスパイ小説が、従来にない要素を提示してきたというところがおもしろいと思います。
誤解だらけの?ゾルゲ像
手嶋 戦前・戦中の日本に現れたスパイでは、リヒャルト・ゾルゲに触れないわけにはいきません。彼はドイツの新聞記者を装って日本に潜入したクレムリンのスパイでした。まさしく伝説のスパイとして縦横に活躍するのですが、その実像は意外にしられていません。検事調書とか自らが書き残した書類などは、一応残されています。それらの記録から浮かび上がってくるゾルゲ像は、胃がキリキリと痛むような過酷な環境下で、乏しい工作費をやりくりして食いつないでいるというものです。しかし実際はかなり潤沢な資金を持っていたらしい。その上、日本女性はとりわけ優しくて心根がいい。だとすれば当時の東京はパラダイスのような心地のいい場所だったのではないでしょうか。
佐藤 特に当時の上流階級というのはセックスに奔放だった。だから、ゾルゲは相当、生活をエンジョイしていたんじゃないか。そういう楽しみを教えたのは、日本潜入前に上海で知り合った「盟友」の尾崎秀実ではないかというのが、僕の考えです。ロバート・ワイマントの『ゾルゲ 引き裂かれたスパイ』には、尾崎が仲間内で相当な女好きで、「ホルモンタンク」と呼ばれていたというくだりがあります。ゾルゲと尾崎を結びつけた一番大きなところは、実は女好きということだったんじゃないでしょうか。
手嶋 そういう人間の生身に触れる部分が、世の中を動かすきっかけになったりする。例えばロアルド・ダールの『オズワルド叔父さん』。この人もそれはそれはど性骨の据わった人物でした。驚くべきエピソードが満載されており、とにかく楽しめます(笑)。
話をゾルゲに戻すと、僕は戦前の華族で社交界の華といわれた女性に確かめたことがあります。大変な美形で、フィデル・カストロの永遠の恋人といわれた人でした。
佐藤 共産主義好きなんですね(笑)。
手嶋 そうですね(笑)。で、彼女は明らかにゾルゲとも関係を持っていた。しかし、ゾルゲも本国には「いやあ、日本はパラダイスのようなところで」などと報告するわけがない。不思議なのは、特高に捕まってから尾崎のほうは阿部定の弁護もやった竹内金太郎という超一級の弁護士を立てたのに、ゾルゲはそういう行動をとらなかった。
佐藤 そこは謎ですよね。まあ、本人はスパイ交換でモスクワに戻れると期待していたのかもしれませんが。ただおもしろいのは、あれだけ女を利用しながら、悪口ばかりなんですね。「日本の上流階級の女は、難しいことが理解できず、情報源として役に立たない」とか、あえて手記に書いている。ただ、ここは検事との取引があったのかもしれません。関係した女たちを守るために。こうした検察との取引は、現代の日本にも存在しますから。
手嶋 事実、彼女たちはいっさいお咎めなし。取調べさえも受けてはいませんね。まあ、ゾルゲに関しては、まだまだ分からないことが多い。
佐藤 『ゾルゲの見た日本』(みすず書房編集部編)は、フランクフルトの新聞に彼が書いた記事を単純に翻訳したものですが、自身が相当に洞察力のある人物だということと同時に、やはり協力者がいないとこの仕事はできないなと。そのことが読み取れますよね。
手嶋 限られた情報ソースの中から最良のものを選んで、行間までをも読む。与えられた情報をどう読み解くのかという点で、非常に示唆に富んでいます。
佐藤 また、少し違った視点ですが、 モルガン・スポルテスの描いた小説『ゾルゲ・破滅のフーガ』も、新たなゾルゲ像を浮かび上がらせ、興味深い仕上がりになっていて、読み応えがあり、お勧めです。
日本のインテリジェンス
手嶋 それでは、日本人を扱った作品をみていきましょう。誕生間もない明治国家が最も溌剌としていた時期に諜報活動に人生をささげた人、それが石光真清でした。その生涯の軌跡を綴った『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』三部作を読み返してみますと、明治期のインテリジェント・オフィサーの志の高さに心打たれる思いがします。軍人としての栄達をあきらめ、若い明治国家を何とか生き延びさせようと死力を尽す明治の青年群像が生き生きと描かれています。
佐藤 そういう人は、品性が下劣なところにいかないですよね。その対極と言ってはなんですが、『731』(青木冨貴子著)の主人公である石井四郎中将。ちょっと出世欲のある普通のお医者さんが、第二次大戦中、細菌兵器の開発を命じられ、機械的にそれをこなしていくことになる。ところが、この本で暴露されているんですが、戦後米軍に情報提供して免責された上に、売春宿の経営者として余生を送るんですね。
手嶋 戦後では沖縄返還交渉に際して、核持ち込みをめぐる日米密約に取りまとめにために、佐藤栄作首相の密使をつとめた国際政治学者の若泉敬がいます。彼が長い沈黙を破って著した本が『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』でした。実は石光真清のお孫さんが文藝春秋の編集者として担当したのがこの本なのです。密約には様々な論議があるでしょうが、若泉さんという人が無私の姿勢で沖縄返還に取り組んだことがよく分かります。
佐藤 それは間違いないですね。
手嶋 しかしながら、若泉さんが沖縄返還交渉の中で密約に踏み込んでいったことが果たして意味があったのかどうか、それには疑問が残ります。ニクソン、キッシンジャーという名うての交渉者によって日本が密約に誘い込まれ、逆にそれを〝借金のカタ〟のようにして繊維交渉で使われたのではないかと思います。
佐藤 僕は今、沖縄返還に向けて対米交渉を担当した元外務省アメリカ局長の吉野文六さんのインタビューをやっているのですが、オーラルヒストリーの中で「交渉の途中から忍者みたいなやつが入ってきた」とおっしゃっていました。おそらく、若泉さんがお書きになったのとは違う話がたくさん出てくるんじゃないかと、楽しみにしてるんですよ。
戦時中の日本軍の謀略構想を書いた、池田徳眞の『プロパガンダ戦史』と『日の丸アワー』も第一級の資料ですね。後者はアメリカ人の捕虜を使って対米向けに、世界にも前例のない捕虜集団による謀略宣伝のラジオ放送を行ったというもの。
手嶋 日本でもホテルでテレビをつければ、中国側の国際放送を流しています。反日デモの際の映像を見たことがあります。ちょっと見ただけでは「宣伝放送」とは思えない、客観的な装いを凝らしている。じつに心憎い。一方、NHKの国際放送では、「今日の日曜日、熊野でお祭りがあり」というのですから、もう、外交力の差は歴然。世界の有力国でこんなことをしている国はありません。
佐藤 戦時中のNHKの「日の丸アワー」も途中からは、「ポストマン・コール」と名前を変えて、捕虜の家族宛てのメッセージを流すといったように、内容を変えるような工夫もしている。
手嶋 あの時期ですら、という感じがします。今はもっと意匠を凝らして世界にメッセージを発信していかなければいけない。
水面下では常に様々な戦いが繰り広げられているのです。日本が最も平和な時期にあっても、オホーツクの海では熾烈なやりとりが交わされていました。『オホーツク諜報船』(西木正明著)がそんな北の海のドラマを活写しています。いわゆるレポ船の帝王と言われた人物の懐に、向こう見ずにも飛び込んで書いた渾身のノンフィクションです。
さて、最後になりますが、佐藤さんは、このインテリジェンスを読み解く三十冊のなかに漱石の『こころ』。を挙げています。さすが、ラスプーチンという気がします。
佐藤 これは恋人を奪う高度なインテリジェンス。「向上心のない者はばかだ」とライバルのKに投げかけることで、恋を諦めさせる。自らジレンマに嵌っていくことを計算した上で、この一言を発しているわけですよ。こういう言葉をどのように準備するのかは、インテリジェンスにとって非常に重要なテクニックなのです。漱石の〝恐ろしさ〟が分かりますね。
手嶋 佐藤ラスプーチンならではの視点だと思います。日本のインテリジェンスを改めて振り返ると、最も光っていたのは石光真清のような人が出た明治期だったと思います。残念ながら、それ以降はだんだん影が薄くなっていく。
佐藤 で、ここに来て手嶋さんと僕が再び火を点けた(笑)。日本の社会全体が弱体化してきて、多くの人が「これじゃまずいぞ」と思い始めているのは事実だと思いますね。
手嶋 臨界点に近くなって、インテリジェンスの重要性も再認識されているわけですね。今回挙げた三〇冊が、そういう理解を広げる一助になれば幸いです。
対談
手嶋龍一/外交ジャーナリスト・作家
佐藤優/起訴休職外務事務官・作家