緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫FACTA編集長
「亡国の総理」辞任 <中>
阿部 安倍総理がシドニーで「職を賭しても」と言ったのは、インド洋上での自衛艦の給油継続問題です。これが命取りでした。シドニーで何があったのでしょう。
手嶋 シドニーで行われた日米首脳会談で、安倍総理はブッシュ大統領に押し切られたのです。とにかく、民主党を落として、給油継続の手形を落としてくれるだろうな、と迫られて、手形を落とす明確なメドがないのに、イエスと答えてしまった。その一方で一枚看板の拉致問題をめぐっては「日本の同意なくしてテロ支援国家の解除なし」という確かな約束を取りつけられなかった。追い詰められるばかりで、その大きな重圧に耐えられず、民主党の小沢代表にも首会談を事実上断られて、万事に窮したという構図でしょうか。
阿部 綸言汗のごとしと言いますが、総理なのに安倍さんはどうも言葉が軽い。ああ言ったら、あとがないことが分からなかったのでしょうか。
手嶋 ええ、なにしろ「美しい国」なのですから、総理の言葉の重さに本質的な自覚を欠いていたのでしょう。まさにこれは、政局主義者小沢代表の思う壺。アリ地獄に落ちるようにはまっていったのだと言えます。
阿部 総理会見では小沢氏に恨み節ともとれるくだりがありましたが、小沢氏には「テーマもはっきりしない党首会談などやっても仕方がない」と一蹴されています。総理が会談を申し込んで、会えなかったから、職を投げ出す。もはや駄々っ子と変わらず、指導者の適格性を欠いています。
手嶋 シドニーの日米首脳会談を通じて、安倍内閣が内政だけでなく、外交とりわけ日米同盟の運営に失敗して、政権を投げ出したことが露呈してしまったといえます。安倍政権は、北朝鮮に安易な妥協をしないという「対朝強硬派」であることを鮮明にしてきました。しかし、イラクで劣勢に立つブッシュ政権は、北朝鮮の核無力化を引き出して、東アジアで点数を稼ぎだそうと、テロ支援国家の指定を解除しようとしています。安倍内閣は、この動きに待ったを掛けられずにいました。
アメリカが北朝鮮をテロ支援国に指定した理由の中には、日本の拉致問題も入っていますから、同盟国の日本がウンと言わなければ、ブッシュ政権は指定を解除できないはずです。ブッシュ大統領から、テロ特措法延長を求められたのなら、安倍総理はその代わりに「テロ支援国家の指定を解除しない」との言質を大統領から取りつけるべきでした。しかし、それもできていない。
自民党の部会でその点を質された佐々江アジア・大洋州局長が「日本が同意しないままの指定解除はないと思う」と述べたのは、首脳会談で詰め切れなかったことを窺わせています。
阿部 6カ国協議でも日本は取り残されているかに見えます。アメリカのライス国務長官とヒル国務次官補の対朝外交を、手嶋さんはFACTA10月号(9月20日発売)のコラムで批判していますね。
手嶋 日本が取り残され、孤立しているのではなく、ブッシュ政権の外交チームが日米同盟を犠牲にしてまで、妥協に踏み込もうとしているとみるべきでしょう。安倍総理は、やはり、日米同盟の運営にも躓いていたのです。それが辞任に追い込まれていった、隠れた、しかし重要な要因です。
阿部 蛇ににらまれた蛙のように、アメリカ大統領の前で、言いたいことも言えない。『美しい国へ』では「主張する外交」を標榜していたのですから、あきれますね。
手嶋 ええ、「美しい国」には、論理がなくて、ただレトリック(修辞)だけなのです。安倍内閣は「広報内閣」と言われました。総裁選のキャンペーンで田植えをしてみせたり、茶の湯にいそしんだり、見てくれの、テクニカルなPRに励んでいた。G8でそんな指導者は見あたりません。どんな政権にも襲いかかってくる嵐を乗り切るための実力も備えていなかったのですね。
阿部 安倍総理は続投を表明した際、改革の継続を訴えました。しかし、改造人事では麻生幹事長に押し切られ、内閣府のスタッフも小泉・安倍路線を支えてきた霞が関の異端官僚がパージされました。彼らを改革派と言うと、小泉政権時代の改革派対守旧派の構図になってしまいますが、「小さな政府」派と「大きな政府」派で見れば、「小さな政府」の敗退を象徴しています。
手嶋 7月のFACTAトークイベントでは、安倍政権が陥った機能不全症候群の原因が、4つのポストの人事の失敗にあると指摘しましたね。党幹事長、官房長官、官房副長官(事務)、総理秘書官の4つです。改造内閣はこのうち幹事長と官房長官を変えましたが、官房副長官と総理秘書官は手放さなかった。
ここから誤った教訓が引き出されそうな気がして心配です。霞が関とうまく折り合えなかったために、この政権は倒れてしまった。だから霞が関とうまくやることが政権を維持する要諦だ――と。これでは政治が再び官僚の風下に立つことを意味してしまいます。
阿部 先祖返りですか。小泉政権時代の改革路線が全面交代して、また官製国家に逆戻りとなる懸念が出てきました。次回はそれをテーマにしましょう
(続く)
2007年9月13日 FACTAオンライン掲載