緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫FACTA編集長
「亡国の総理」辞任 <上>
阿部 寝耳に水、というべきでしょうか。安倍総理の辞意表明は。
手嶋 小沢民主党と対決する前にタオルを投げてしまった。奇しくも小沢代表が「こんなことは過去40年、前例がない」と言ったとおりですね。この異例の辞め方自体が、政治のプロたるべき総理大臣に、危機をマネージしていく能力が決定的に欠けていることを示したと思いますね。どうせ辞めるのなら、そのタイミングはいくらでもありました。
7月末の参院選で歴史的大敗を喫した直後ならば、日米同盟に亀裂が入ったことを世にさらす前に政権交代するわけですから、まだしも傷は浅かったはずです。しかし辞任要求を強行突破して組閣もし、日米首脳会談まで行ったのですから、まさにこの1カ月余は安倍総理が深みにはまっていく過程だったと思います。
阿部 手嶋さんが弊誌FACTAのコラムで早くから予想していたように、その深みとは「政局主義者」氏の登場と、テロ対策特別措置法の延長問題ですよね。
手嶋 ええ、そこが主戦場になってしまった。でも、安倍対小沢の「巌流島の対決」になる代わりに、突然、リングから降りてしまったのです。前兆はあったのでしょうか。
阿部 ありました。シドニーのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議、日米首脳会談のあと、唐突に「職を賭しても」発言が飛び出す。いやしくも権力の頂点に立つような人間は、自らの進退に触れた途端、権力を失っていくというのが、古今東西を問わず政治の鉄則です。それを承知で口にしたこと自体、あ、これは投げ出す気かな、と誰もが直感しました。
でも、これほど早いとは予想できなかった。実は前日、安倍総理は風邪を理由に夕方早々と首相公邸に戻ってしまった。顔色は冴えないし、むくんでいたし、あれが前兆でしたね。
手嶋 体調不調説も流れていますが。
阿部 もともと神経性大腸炎の持病があり、ストレスにさらされると弱い体質です。総理辞任のプレッシャーに参っていたという説もありますが……。
手嶋 極端に船酔いの弱い人は、船長の任に堪えないと言いますが、安倍総理もまさに国の舵取りの任に堪えない人だったのかもしれない。昨年9月、安倍内閣が発足してまだ2カ月ほどしか経っていなころ、安倍ファミリーで肉親のひとりが、「晋三はイライラしていて、どうも心配でならない」とこぼしていました。まだ支持率が高かった時期ですよ。それでも、重圧に押しつぶされていたのです。
阿部 当時の新聞やテレビなどのマスメディアは、「ポスト小泉」の総理として安倍氏の人気が高いのを見て、この人に総理の資質があるのかと問うことをしなかった。政治の本質である権力闘争抜きで総理の椅子に座った人間が、そのポピュラリティーに押しつぶされていったのは、権力にとりあえずすり寄るメディアの体質にも問題があります。
手嶋 まさに人気によりかかって、ふわふわした気分のまま総理になるという、真の間接民主制の原則に反したツケが、いま回ってきたとも言えますね。バスに乗り遅れるな、と未熟な総理を世に送りだしたメディアの責任は大きい。
阿部 実は、前夜に官邸内からある情報が寄せられていました。官邸内から電話がかかってきて、「今度の人事、どう思う?」と謎かけされたのです。「麻生-与謝野ラインでほとんど決められて、安倍さんの出る幕はなかったと聞いている」と答えますと、「内閣府でパージが始まっている」と言うのです。手足がもがれるように安倍側近が外されているそうです。いわば「宮廷クーデター」の話でした。
それは官邸内からの「首相辞任近し」の示唆でした。翌日、再び携帯が鳴り、「だったでしょ?」と謎解きされました。クーデターというのは、麻生自民党幹事長と与謝野官房長官が、すでに外堀を埋めかかっていて、引導を渡すのは時間の問題だったということです。自民党の金庫と官房機密費のふたつのカネを握られて、安倍陣営は座して死を待つのみでした。そこで、最後の反攻――外堀を埋められる前に辞任を表明する、という形で、「寝首をかいた」麻生氏の政権を阻止しようとしたというのです。
手嶋 政治は非情です。足元を見られたら、すぐ寝首をかかれます。安倍政権の命運は、東京を留守にしてシドニーに行った時点で、定まっていたのかもしれません。シドニーでは安倍政権の外交政策、とりわけ日米同盟について、その空洞化があらわになっていましたから。
阿部 これまた、FACTAのコラムでいち早く手嶋さんが指摘していたところですね。このトークの続きで、それを徹底的に論じることにしましょう。
(続く)
2007年9月12日 FACTAオンライン掲載