手嶋龍一

手嶋龍一

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「ワイン外交の舞台裏 ―メニューを見れば、すべてがわかる!―」

手嶋 外交は武器を使わない戦争だといわれます。確かに国際社会の舞台裏では、熾烈な情報戦が繰り広げられています。そして饗宴の背後にも様々なドラマが渦巻いている。西川さんは、世界各国の首脳が主役を演じる饗宴に着眼し、晩餐会のメニューや、ワインの銘柄から、外交のありようを読み解くユニークな手法を編み出しました。饗宴外交が秘めているインテリジェンスから、大国の意図を解き明かした。僕らのように城壁をしゃにむによじ登る凡庸なジャーナリストをあっと言わせる奇想天外な着想です。

西川 僕が提案したのは、饗宴のメニューが国際政治の舞台裏を反映している、ということでしょうか。たとえば、一九九四年の羽田首相がフランスを訪れ、大統領官邸であるエリゼ宮で、南仏プロバンスの赤ワイン、サン・ジェルマンという、仲間内で飲むようなワインが出されたのですが、九〇年の海部首相のときにはグラン・クリュ(特級)に次ぐ二番目の格付けのプルミエ・クリュのワインだった。

羽田さんと海部さんになぜ差がついたかというと、ミッテランが、羽田内閣を「すでに死に体である」とみていたからなんです。

手嶋 僕は西川さんの著書『ワインと外交』(新潮新書)を読んで、蒲団をかぶって寝てしまいたい心境でした。この本に描かれたブッシュ大統領のヨーロッパ訪問のほとんどに、同行していたのに、こんな面白い素材を見過ごしていたのですから。現場にいる者は必ずしも尊からず。嘆息するばかりです(笑)。

西川 手嶋さんは当時、NHKワシントン支局長として同行しておられたんですよね。僕が、この視点で取材を始めたのは、会談に付属する饗宴が「形を変えた政治」ではないかと考えたからなんですね。当時、毎日新聞のパリ特派員として、一九八六年から九三年まで、フランス大統領官邸のエリゼ宮に出入りしていました。エリゼ宮では頻繁に首脳会談が行われ、そのあとに饗宴があり、それが終わるとスポークスマンが出てきて、今日の会談はこうだったと説明がある。

あの頃、エリゼ宮の記者控え室にメニューを記した紙も置かれていましたが、注意を向ける人はいなかった。そんなあるとき、どうして良いワインのときと、大したワインじゃないときがあるのかと疑問に感じたんですね。もしかしたら、これにも一つのルールがあるのかなと。

手嶋 ワインで読み解く各国首脳の格付けというわけですね。鋭いところに眼をつけたものです。フランスでは、ワインそれ自体の格付けが整っていますから、西川流の見立てには、かなりの信憑性がある。

西川 その格のワインを選んだ背景に、二つの要素があるんじゃないかと考えたわけです。一つはフランスとその国の関係性、もう一つは大統領自身と相手国の首脳との個人的な関係性、この二つがもてなしのレベルに反映していると感じたのです。ただ、あくまで舞台裏を読むのであって、良いワインが国際政治を動かすわけではない。

手嶋 西川さんは謙虚な姿勢を崩そうとなさらない。でも、僕は、饗宴が国際政局を動かした実例を知っていますよ。かつて「ドイツの小さな町」といわれるボンに在勤していました。なにしろ小さな町ですので、とあるイタリアン・レストランで、欧州に並ぶもの無き巨漢、ヘルムート・コール首相と隣あわせになったことがありました。

西川 コール首相と、食事の席が一緒になったのですか。

手嶋 ええ、その大食漢ぶりは聞きしにまさるものでした。ドイツではグルメで知られていました。何しろ『ドイツ・グルメの旅』という料理本まで出版しているのですから。この巨漢宰相が推奨する料理はザウマーゲン。メス豚の胃にラードをいっぱい詰めた輪切り料理で、典型的なメタボリック奨励品です(笑)。欧州連合の通貨統合を協議するため、各国の首脳を次々に自宅に招いて、郷里の自慢料理をご馳走したのです。

西川 首脳は、それを毎回食べさせられる。

手嶋 さしもの「鉄の女」サッチャー女史も、「あの料理を食べるくらいなら、ドイツ主導の通貨統合を認めてもいい」と悲鳴をあげたほどです。(笑)。コール流の饗宴が通貨統を推し進めたといっていい(笑)。

西川 ハハハハ。

手嶋 料理が外交を映す鏡だというなら、その具体例はほかにもありますよ。フランスは、ブッシュ大統領が推し進めたイラク戦争に立ちはだかり、米仏関係はにわかに緊張しました。そのさなか、アメリカ大統領は、専用機「エアフォース・ワン」を駆って外遊しました。ホワイトハウス記者団も同行機で一緒に出かけたのですが、イタリアの特派員が「おい、このメニューを見てみろ」と。従来のメニューから「フレンチ・トースト」が姿を消し「フリーダム・トースト」が登場していたのです。

西川 アメリカだと、同行記者団に出す食事もちゃんとメニューがあるのですか?

手嶋 もちろんそうです。高い料金を取られていますから。早速注文してみたのですが、誇り高き「フリーダム・トースト」は、単なる「フレンチ・トースト」でした(笑)。イラクへの武力容認の国連決議を葬り去った宿敵である、フランスのド・ヴィルパン外相への意趣返しでした。

メニューを聞き出す難しさ

西川 実は私は、手嶋さんは相当ワインに詳しいと思っているんです。というのは、手嶋さんの小説デビュー作である『ウルトラ・ダラー』(新潮社)には、外交官の食事の場面で、ワインが度々出てきますよね。北朝鮮の偽札作りと、それを探る諜報員の活動、大国の思惑が交差するストーリーのなかで、ソーヴィニョン・ブランとか、ピノ・グリージョなどのブドウ品種が、具体名で登場します。

手嶋 実は、ワインに詳しくないうえに、アルコールもそれほどたしなみません(笑)。『ウルトラ・ダラー』では、インテリジェンス・ワールドのオブザーバーとして、眼前の出来事をリアルに写し取ったにすぎないのです。ただ、リアルであることと、リアリティーがあることは別で、ディレンマを抱えています。鎌倉山にあった英国人スパイが学ぶ日本語学校が登場します。岐阜から古い農家の骨組みを移してきたのですが、壁はなんとピンク色。日本語の教材はユーミンの詞。そのまま小説に書いたところ、「いくら小説でもリアリティーがない」と指摘をうけました。ここだけ作り物にすると、全体のディテールに微妙な狂いが生じてしまいます。ですからワインの銘柄もそのままに記したんです。

西川 我々のような立場にとって、ファクトはとても大切ですよね。取材する立場からいうと、現実の状況を確認するというのは、結構しんどい作業なのです。饗宴のメニューを聞き出す際も、担当者は「なぜそんなことが知りたいんだ」と疑問に思う。メニューから外交を分析しているからとい言うと、ああそうかと言って、料理のリストは教えてくれるのですが、料理に合わせてワインも知りたいんだというと、「どうしてそこまで必要なんだ」と怪しまれて、断られることもある。

手嶋 饗宴のエスピオナージ(スパイ活動)と疑われても仕方がない(笑)。

西川 エリゼ宮だと、ある程度人脈もあったので、メニューそのものを送ってくれたのですが、イギリスのバッキンガム宮殿などは難しかったですね。たかがメニューですけど、それを取るためにはかなりエネルギーを費やしています(笑)。

手嶋 たかがメニュー、されどメニュー。そのこだわりが独自の視点を生み出します。

西川 饗宴から政治、外交を見るときに、いくつか気をつけないといけないことがあります。それは「大統領が変わると基準が変わる」ということですね。たとえば、ミッテランからシラク大統領に変わって、日本の首脳に出すワインのレベルが高くなったのですが、調べてみると他の国の首脳に対しても同様にレベルアップしていました。ミッテランのころは、日本に厳しいというよりも、もてなす相手に応じてどの格付けのワインを出すか厳密にやっていた。シラクさんになってから、そのへんがやや曖昧になってきた。シラクさんはワインにあまり関心がなく、「出すならいい方を出しておこう」という判断があったように感じます。

だから、さきほどの羽田首相と海部首相の比較も、同じミッテラン政権だったから言えることなんです。

手嶋 なるほど、もてなしをどう見るかは難しい。フランスは、ワインの等級という見立ての手段がありますが、日本のもてなしは深い霧に覆われている。米国の友人から「日本のRYOTEIに呼ばれたが、自分はどういう格付けになっているんだろう?」と聞かれたことがあります。料亭の名刺などを持ち帰って、「本当のことを言ってくれ」と真剣です。そのうち「今度は金田中に格があがった」なんて喜ぶようになる。やがて「そのお座敷に姿を見せる芸妓さんで格がわかるらしい」と上級篇になってくる(笑)。

西川 要するに、人間というのは、自分がどういうレベルでもてなされてるかというのが気になるものなんですね。

手嶋 人間とは本当に度し難い生き物です。その元祖がワインの等級というわけですね。

西川 たとえば、安倍晋三総理が二〇〇六年十月に、中国に訪問したときの例をみてみると、興味深いです。

手嶋 日中関係は、靖国参拝問題でこじれにこじれていましたから、安倍総理の訪中で催される饗宴は、高度に政治的な意味を帯びていました。西川シェフの出番です(笑)。

西川 当初、中国側のメニューでは、「ナマコのスープ」が出される予定だったのです。で、日本側がそれに「ちょっとおかしいんじゃないか。ツバメの巣のスープに変えてほしい」とクレームをつけたんですね。日本側の認識では、最も格が高いのは、「ツバメの巣」、次に「フカひれ」、そして「ナマコ」という順だったんです。

ただ、僕の取材したところによると、「ナマコというのは現在、非常に珍重されている食材だ」ということだったから、決して格を下げたわけじゃない。中国側もそのように伝えたんですが、日本側には、ツバメの巣のほうが上だという固定観念があって、それにこだわったんですね。

手嶋 あれは興味深い展開でした。結局、中国側が譲って、ツバメの巣のスープを準備したそうですね。

西川 外交において頑な中国が、ここで譲るということは、やはり安倍さんの訪問を大事にしたいという思いもあったんだろうという「読み」ができるわけですね。ほんとうはそういうメニューを決める過程も知りたいというのが、ジャーナリストの気持ちなんですけれどね。

手嶋 実は私は、テレビ番組で安倍総理の電撃訪問が行われることを予告し、関係者からは「芝居の幕があがる前に種明かしをした」と非難された張本人ですので、この訪問の内情にはいささか通じています。

西川 そうだったんですか。

手嶋 この外交劇は、日中双方にとって大一番でした。胡錦濤政権は、江沢民時代のくびきを脱して、新しい外交の舵を切りたがっていた。中国側の切り札は、戴秉国筆頭外務次官。この風変わりな人物は、貴州省の少数民族でありながら、中南海で重きを成した実力政治家です。

受けて立ったのは、日本外務省の谷内正太郎次官。新聞には「二日半にわたって総合政策対話が行われた」と報じられだけですが、双方一歩も譲らずといった険しいものでした。中国側は「新総理の訪中を歓迎するが、靖国を参拝しないという一筆を出してほしい」とひたひたと押してきた。

西川 それは厳しい注文ですね。

手嶋 谷内次官は、「いかなる形でも約束できない」と拒絶しています。後の歴史家が「火の出るような攻防だった」と記述するにちがいない烈しいものとなりました。

西川 このときは、北朝鮮の金正日が、核実験のボタンを押すかもしれないと言われていたときでしたね。

手嶋 結局、胡錦濤国家主席は、靖国問題では日本側から譲歩を引き出せないまま、安倍新総理を中国に迎えることになりました。あの中国が譲ったのですから珍しい。ようやく「なまこ」と「ツバメ」のステージに焦点は移ります。

西川 手嶋さんの専門分野である「インテリジェンス」と合わせてみると、より深みがでますね。つまり、あくまで政治の脈絡があってこそ、メニューから外交を読み解けるのだと思うんですね。背景の政治状況を理解することなしに、メニューだけから推測するというのはあり得ない。

ただ、『ワインと外交』という本を執筆した後、困ったことにいろんなところで「東京でおいしいフランスレストランどこですか」と聞かれるんです。

手嶋 ワシントン・ポスト紙もグルメ記者を優遇していますよ(笑)。

西川 そのたびに、僕は国際政治をフォローしているのです。あくまであの本は外交を書いてあるんであって料理のことを書いてるわけじゃない、と説明しなくちゃいけない(笑)。

手嶋 その程度の誤解は世の常です。そんなことにめげずに饗宴から外交を読み解く仕事を続けてください。

西川 ハハハハ。その通りで、饗宴外交というのはある意味では継続して見ていかないと意味がないという一面もあります。他の国の首脳に対する「もてなし」との比較の中で、そのレベルの違いは何に起因するのか、外交的に分析する必要がある。ただ、僕の場合は、正確にいうとプロトコールから外交を見るということなんです。

手嶋 外交儀礼から対外関係を読み解くわけですね。

西川 その意味は幅広くて、服装も含まれるんです。たとえばイランです。一九七九年のイラン革命の後、政治姿勢が変貌したときの一つのシグナルは、駐日大使のネクタイに出ています。

手嶋 といいますと。

西川 革命後、イランの大使はネクタイを締めなくなった。それはどうしてかというと、親欧米路線のパーレビ王制を打倒した「イラン革命」は、欧米の文化を否定するところから出発しました。そのなかでネクタイというものは、いわゆる西側の堕落した文化であるという認識ですね。

もう一つプロトコールで言うと、ハタミ大統領になって初めてのナショナルデー(一九九八年二月十一日)で、それまで大使だけを式典に招待していたのを夫人同伴で招くようになりました。これは、穏健路線のハタミ政権を象徴する出来事でした。ところが二〇〇五年にアフマディネジャドが大統領になって、その二年目に、夫人の同伴を認めなくなった。

手嶋 なるほど、ハタミの方針を否定するという姿勢ですね。

西川 そうです。アフマディネジャド大統領になってイスラム化の強まりがこういうところにも現われたのです。そういう意味ではプロトコールの小さな変化からも、外交を読み解くことができるのです。

手嶋 プロトコールから各国の本音が覘けるということでしょうか。

西川 その通りです。日本とヨーロッパの場合もまったく違いますね。日本の場合だと、饗宴は相手に合わせてあげる、という考え方があります。つまり、日本のやり方を相手に押しつけない。イスラム国家であるイランのハタミ大統領が二〇〇〇年に来日したときもそうだけれども、賓客が宗教上の理由でお酒を飲まないなら、そしてボトルも見るのもいやなら、饗宴の席には出さないでおきましょうということになる。

手嶋 柔軟な考えですね。

西川 これがフランスなんかはまったく逆で、我が国はワインは出す。飲むか飲まないかの判断はあなたの自由であるという。決まっているプロトコールは変えない。そこは譲らない一線なんですね。だから、ハタミがフランスを訪問しようかというときに、「ワインをテーブルに出してくれるな」というイランの要望に対し、フランスは譲らなかった。その結果、訪問が流れてしまったのです。

アメリカ、ホワイトハウスの場合はいかがですか?

 

手嶋 ホワイトハウスでのもてなしを今日のように整えたのは、ジャクリーン・ケネディ夫人でした。彼女がファーストレディであったのは、一九六一年から六三年までと短い期間だったのですが、ホワイトハウスのインテリア、絵画、晩餐会、庭の植栽にいたるまですっきりと洗練したものになりました。ジャクリーン風はいまも随所に息づいています。

西川 ものの本を読むと、ジャクリーンさん以前は、ホワイトハウスの料理人はあくまで大統領の家族の料理をつくるだけだったと。饗宴については、外から頼んでいたと。

手嶋 はい。京都のお茶屋さんと同様に仕出しでした。お客様をお呼びする以上、ホワイトハウスならではの料理をと、厨房を改装し、自ら料理人を選んだのです。ジャクリーン夫人は、ホワイトハウス饗宴の革命家でした。

西川 ヒラリー・クリントン夫人はどうですか。

手嶋 ヒラリー夫人も、ホワイトハウスにクリントン調を付け加えようと工夫を凝らしました。ファーストレディとして影響力を振るったのですが同時に保険制度改革を手がけ、クリントン政治の推進エンジンでした。スーパーレディなのです。その頃からこの館の真の主になる野望を秘めていたのでしょう。

西川 エリゼ宮の場合は、料理、饗宴の面では、むしろ夫人の関与は薄いんですね、エリゼ宮がホワイトハウスのように自前の料理をつくり出すのは、ド・ゴールのあとのポンピドー大統領からです。ド・ゴールは夫婦そろって関心がなくて、イボンヌ夫人が、昔の料理本を出して「これで行きましょう」と言うと、執事長が仕出し屋に、「そういうものをよろしく」と頼むという感じでした。次のポンピドー大統領が非常に健啖家で、エリゼ宮の独自の料理を出さなきゃいけないと考え、70年代初めに厨房を改装して、料理人を入れたのです。面白いのはポンピドーを含め、その後のジスカール・デスタンとミッテランの夫人は饗宴にまったくといっていいほどかかわっておらず、饗宴の方針は、大統領自身が決めてきたというところがあります。前大統領のシラクだけは例外で、ベルナデット夫人が采配を振っていました。先ごろの選挙で新大統領になったサルコジ夫人は、関与しないと思います。

手嶋 実はホワイトハウスでのもてなしというのは、選挙と深く結びついています。クリントン大統領は、ブッシュ・シニア、いまの大統領の父親である四十一代大統領が再選間違いなしといわれたなか、アーカンソー州という田舎の知事から挑戦した人です。だから最初は誰もクリントン陣営に資金を出す者などいなかった。そんななかで最初に選挙資金を出したのがハリウッドの映画産業でした。まさしく「シードマネー」です。ここはユダヤ系の方々の牙城です。四十一代ブッシュ政権が、イスラエルとの関係をすっかりこじらせてしまいましたから。ソニーが買収したコロンビア・ピクチャーズは、クリントン支援の要でした。選挙運動に資金が少し入れば、支持率もわずかに上がる、そうなれば他からも資金が集まって、支持率はさらに伸びる、という仕掛けです。こうしてクリントン陣営は、劣勢を跳ね返し、ホワイトハウス入りを果たしました。クリントン大統領は、力になってくれたハリウッドの映画産業に借りを返さなければなりませんでした。クリントン時代にホワイトハウスに泊りがけで招かれた客の多くがハリウッド関係者だったのは、偶然ではなかったのです。

西川 有名人が好きだから、招いていたわけでないないと。

手嶋 有名人も好きなのですが、ハリウッド資本へのお返しです。

西川 アメリカは、饗宴におけるワインは、カリフォルニア産にこだわってますよね。

手嶋 カリフォルニア州こそ、最大の選挙人を抱え、民主党にとっては絶対に落とせない拠点です。西海岸の北ナパ・ヴァレーの一帯は、裕福な地域ですから資金力集めという点でも粗略に扱うわけにはいかないのでしょう。アメリカのパワーをワイン作りでも示すには、カリフォルニアワインを中心に饗宴を営むのはごく自然な流れだと思います。

    

小泉・ブッシュ会談秘話

         

西川 小泉前総理とブッシュの関係はどうですか?

手嶋 ブッシュ大統領が各国の首脳にどれほど親密な感情を抱いているか。それを見立てる絶好の方法があります。松竹梅。そう、各国の首脳との会談場所の等級がついているのです。一番ランクの低い梅は、ホワイトハウスのオーバル・オフィス。ひとつ上がって竹は、キャンプ・デービッド山荘。そして最高ランクの松は、テキサス州クロフォードのブッシュ牧場です。ブッシュ大統領の盟友、小泉前総理は、本来は松ランクのはずですが、テキサスに出かける日程のやりくりがつかなかったことがありました。そこでブッシュ大統領は、ヨーロッパに外遊中だった小泉前総理に電話をかけ、「お会いするのを楽しみにしている。ついてはキャンプ・デービッド山荘にお招きしたい」と釈明したのです。小泉前総理は、「いやあ、私はどこでもかまいません」と。その応答が少しぶっきらぼうに聞こえたらしいのです。

西川 キャンプ・デービッドだと竹ランクですね。

手嶋 ブッシュ大統領は、意外に繊細な人なんですね。「ひょっとしてジュンイチローは気分を悪くしたのだろうか」と心配になった。僕は、このエピソードをホワイトハウスの補佐官から聞いたのですが、大統領自ら日程表とにらめっこで、松のブッシュ牧場に招くことにしたというのです。こんな面白い話はすぐに伝わります。小泉・ブッシュ関係は鋼のように堅い―と。

西川 イラク戦争の直後の二〇〇三年五月の会談ですね。

手嶋 ここでブッシュ大統領は、CIAの定例ブリーフィングにまで小泉前総理を同席させ、機密を分かち合う盟友であることを敢えて示して見せました。

西川 ブッシュといえば、現大統領の父親のブッシュ・シニアがクリントンに選挙で敗れて去るとき、ロシア、フランスなどを回ったのです。そのとき、ミッテラン大統領は「シャトー・シュヴァル・ブラン」という最高の赤ワインでもてなしました。そのあとの一九九四年にクリントンさんがフランスを訪れたときには、格付けのないワインが出されたので、その差は歴然です。そこで僕はエリゼ宮の外交補佐官に「ミッテランはクリントンに何か一物あるのか?」と聞いたら、「いや、非常に好ましいと思ってる」と建前の返事しか帰ってこなかった。「でも、それだったら、このワインはおかしんじゃないか?」と突っ込むと、「実はうん、まあ、クリントンは若いし、いろいろ思いはあるだろうね」という言い方に変わったんです。つまり、ブッシュ・シニアのヨーロッパ理解に関して、ミッテランは一目おいていた。当時のアメリカ政府のヨーロッパに対する気遣いを、ミッテランはよく感じ取っていたから、去るに当たってシュヴァル・ブランを出したんですね。

手嶋 なるほど。でも、西川さんの本を読むと、日本の大使公邸で振舞われるワインや料理のレベルはかなり高いですね。

西川 そう思います。その理由としては、大使が帯同する料理人を外務省の外郭団体、国際交流協会が一貫して世話していることが大きいですね。日本の大使公邸の料理は美味しいから顔を出すという外国の要人が結構います。日本の大使公邸には珍しい人がくるという話がさらに人を呼び、日本の外交にとって有益な情報が集まっている。饗宴の場の料理が、「潤滑油」になっていると思うんですね。ただ近年の外務省を取り巻く状況を見ていると、そうした接待費が削られている。外務省スキャンダルの影響で、外交官は贅沢してるんじゃないかという世論の視線もある。しかし行き過ぎると将来的に、日本の外交を細らせていくことにならないか気がかりですね。

手嶋 明らかにそうですね。世間の目を気にして、節約する素振りを見せても、ワインをケチって客人をがっかりさせれば、日本の株が下がってしまいます。むろんワインや料理以上に、もてなす側がどれほど魅力的な人物かが何より重要です。同時にワインや料理は舞台装置として少なからぬ役割を演じていることは認めなければなりません。

西川 歴代の総理のなかでは、小渕さんは饗宴というものにきちんと気を使っていた方でした。私の知る限り、首相官邸における晩餐会で最高レベルのワインが出されたのは、一九九九年一月、韓国の金鐘泌(キム・ジョンピル)首相が公賓として来日したときでした。ゲスト国の食材である韓国産松茸や高麗にんじんをつかった料理がだされたうえ、特筆すべきはワインでした。白のコルトン・シャルルマーニュはブルゴーニュ地方の最高級のもの、赤のシャトー・ラフィット・ロートシルトもボルドー地方メドック地区の最高級でした。首相クラスにこの最高レベルのワインは破格です。

しかも余興も充実していて、座は盛り上がりました。当時の首相秘書官に聞いたんですが、小渕総理は招待者リスト、自らのスピーチはもちろん、料理や余興にまで目を配っていたといいます。

手嶋 ご本人は急逝して、ホストをつとめることはできませんでしたが、小渕元総理は二〇〇〇年の沖縄サミットに命をすり減らして準備を進めていました。

西川 そのときの饗宴料理を、レストランの賄いではなく、独自のものにしようとしたのも小渕総理だったんですね。お金がかかりすぎだと批判されましたが、シラク大統領、プーチン大統領、シュレーダー首相の満足した顔をみればその効果は絶大だったと思います。

手嶋 ぜひ、来年の洞爺湖サミットでもそうしていただきたいですね。実は、麻生太郎外相は、饗宴外交の重要性を知っていると思います。晩餐会でワインなどにきちんと目配りして、「これはどういうワイン」とさり気なくきいている場面を見たことがあります。

西川 外交は人と人の関係が支えているところが大きく、お互いを良く知り合う場が饗宴だったり、パーティーなんですが、接待費が削られて、そんなことをやっても無駄だ、という意識が日本の外交官の間に広まってしまったら、外交上の損失は計り知れません。

手嶋 現実はそうなりつつあるのです。そうなれば、結局、最後はそのツケが日本の納税者にはね返ってくることになります。大切なお客様のもてなしをするくらいの国力を日本は十分に備えているのです。ですから西川さんは、饗宴外交の語り部としてこれからも客人をもてなす意義を説き続けていただきたいと思います。

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