「フェルメールが私を引き付ける二つの理由」
フェルメールで僕にとって気になる作品はやっぱり『天秤を持つ女』かな。理由は2つ。
まず、この絵が収蔵されているのが、アメリカの首都ワシントンのナショナル・ギャラリーであることです。僕はあの政治都市に合わせて十数年も幽閉されていましたからね。レーガン時代からブッシュ・シニア時代。欧州勤務をはさんでクリントン時代からブッシュ時代です。あの街はナイトライフもなし、政治に関わる悪い人たち以外に何もない街なのです。パリのようなサロンも、ロンドンのようなジェントルマン・クラブも、日本のような花街もない。ですから美術館に収められている絵画は無聊を慰めてくれる恋人のような存在なのです。そこに『天秤を持つ女』はいたのです。だが、このワシントンにも長所はあります。ホームレスになったとき、つまりすべてを失ったときの約束の地であることです。世界を放浪し、無一文になったら、ワシントンがお薦めです。
街の公園は美しいし、スミソニアンの博物館、美術館群が連なっている。その素晴らしさは言葉に尽くせない。ナショナル・ギャラリーもそうした美術館群の一角にあるのです。ワシントンは、大国アメリカの首都だという見栄もあるのでしょう。弱者に優しく手を差し伸べている。ですから、僕がホームレスになっても、まず美しい公園をブラブラと散歩し、植物園では「熱帯雨林」を訪ねて酸素を補給する。そして、やおらナショナル・ギャラリーに出かけて、フェルメールにご挨拶をする。『天秤を持つ女』の無事を確かめる。これほどすばらしいシチュエーションなどほかにあるでしょうか。これがすべて無料です。超大国アメリカはこれからも痩せ我慢をして見栄を張ってもらいたい。
さてふたつ目の理由。天秤が意味するものは何か。この解釈をめぐってこれまで様々な論争が繰り広げられてきました。しかし、人間はたいてい相反するものの中で揺れ動いて生きてきたのですから、それを見る人が自由に投影してみれば、いいのではないでしょうか。僕は、ノンフィクションとフィクションをふたつながら書いていますが、時折、『天秤を持つ女』を思い浮かべて、バランスをとってきたように思います。
私は北朝鮮の偽札疑惑を横軸に、インテリジェンスを縦軸に小説『ウルトラ・ダラー』を書きました。しかしながら、真札か偽札か、これは深遠な問題を孕んでいます。まず、北朝鮮が創っている偽札はホンモノと少しも違わない。いや、ホンモノ以上に精巧なのです。加えて、アメリカももはや金とドルを兌換してその価値を担保しているわけではない。ただの紙切れを刷りまくっているに過ぎない。これでは何がホンモノで何がニセモノか、判らなくなってしまう。
その意味では、『ウルトラ・ダラー』が生まれるひとつのきっかけは暇にあかして『天秤を持つ女』をしばしば見たことにあるかもしれません。フェルメールをめぐっては、贋作論争が絶えませんが、そこからも啓示を受けました。「真作も贋作もフェルメールだ」と僕は思っています。
「UOMO」誌 2007年4月号掲載