手嶋龍一

手嶋龍一

手嶋龍一オフィシャルサイト HOME » 著作アーカイブ » 2007年

著作アーカイブ

「価値観の数だけかけがえのない喜びがある」

幼い頃の記憶。あの頃、学校では教えてくれないことがあった…。

団塊の世代は、高度経済成長、受験戦争、戦後民主主義のなかを生きてきた。だが、外交ジャーナリスト・作家の手嶋龍一さんは、この世代が体験したこの3つを共有していない。同世代と異なる価値観に立つ資質こそ、手嶋さん独自の視点を生み出している。

僕の父は戦後、九州から北海道の芦別に渡った炭坑主でした。石炭が黒いダイヤと呼ばれた時代の炭坑経営者だったのです。炭坑は昭和20年代から 30年代の初めに絶頂期を迎え、やがて高度成長とともに衰えていきました。幼い頃の記憶に、畳が敷かれた列車の中を駆け回り、車窓を流れる風景がかすかに残っています。後に母に尋ねてみると「それがお座敷列車だったのよ」と言う。父が東京を経て郷里の九州に錦を飾った折にお座敷列車をチャーターしたのだといいます。お手伝いさんから家庭教師まで全員を引き連れての物見遊山だったといいます。その頃が炭坑の絶頂期だったのでしょう。僕が成長するにつれ、石炭は石油に取って代わられ、父の炭坑も零落していきました。僕個人は、高度経済成長のまったく逆の世界を生きていたわけです。

北海道に育ちましたから、受験戦争ともほぼ無縁でした。高校も選ばなければ全入に近い状態だった。学校の勉強が嫌いな子供にとっては天国でした。戦後民主主義の素顔も、教科書とはずいぶん違うことを少年時代から知っていた。炭坑経営者の周りには、旧満州国の高級官僚や旧軍の作戦幕僚など、実に雑多な人々がいました。世の中の実際はこうなっているのかと思い至りました。

クラスメートには、家庭の経済的な事情から、中学校を出るとすぐに働きに出る人も少なくなかった。僕は、そんな仲間を心から尊敬していました。ひとりの女の子はバスの車掌になった。高等学校に通うバスで彼女に乗り合わせたことがあった。つい 2 ~ 3 ヵ月前まで一緒に机を並べていたのに、もう実社会に出て働いている友達がいる。 10 円で乗車券を買おうとした。彼女は黙って首を振った。「ただにしてあげる」と言うのです。気が引けたが、とっさに、その人の好意を黙って受けたほうがいいと自分に言い聞かせました。一歩早く社会に出たものの誇りを大切にしてあげなければと思いながら、去りゆくバスを見送りました。ささやかな経験でしたが、僕には貴重なものとなりました。みんなが同じような中学から大学に行くより、はるかに素晴らしい。僕にとってかけがえのない先生たちでした。

本当の国際人とは流暢に外国語を操る人ではない

ベストセラー小説「ウルトラ・ダラー」や「ライオンと蜘蛛の巣」でお馴染みの作家の手嶋龍一さん。NHKの特派員時代に書いたノンフィクション作品が注目され、ハーバード大学国際問題研究所に招かれた経験を持つ。ユニークな人材を世界中から選りすぐり、自由に研究生活を送る。そこで手嶋さんの人脈も一挙に広がり、世界は深くつながっていることを実感したと言う。

その時、世界中から集められた16人の仲間は、本当に魅力的で個性的でした。コロンビアの国防大臣、イギリスのフォークランド総督、スペインの新聞王にしてカルロス国王の無二の親友など。彼らとはスタディ・ツアーと称して世界中を旅してあるきました。いまも現職の閣僚が何人かいますよ。そう韓国の外相ソン・ミンスン氏もそのひとりです。

米国に招かれているので敬意は払っていますが、米国に寄り添っているわけではない。

大西洋に突き出たケープコッドに行った時のことでした。大英帝国に最も近い半島の突端にいるという感慨を込めて、英国の外交官が言い放ちました。「お前たち、見てみろ。この地点こそ文明にもっとも近い場所だぞ」。すかさず、彼の地に留学したスリランカの大統領補佐官が「そのとおり、世界で最も食い物のまずい文明へのね」と揶揄して見せました。

こうして築かれた信頼の絆は、僕にとって宝石のようなネットワークとなりました。ふだんは会合などしないのですが、いったんことがあれば違います。スリランカでのタミール紛争をめぐっては、ワシントンのわがオフィスは、友人と国務省高官の秘密折衝の舞台となりました。スペインのカルロス国王の親友、ディエゴ・ヒダルゴさんは、仲間が「困ったことがある」と連絡すると、分刻みのスケジュールをやりくりして駆けつけてくれます。僕もマドリードから飛んできた彼に助けてもらったことがある。その場でスイスの顧問弁護士に連絡を取り、世界中の人脈を動員してことにあたってくれた。その間、45分間。難問はほぼ片付いていました。

ですから、われわれは、彼を “ラ・マンチャの男” と呼んでいます。いかなる困難にも立ち向かう真の勇者というわけです。この大富豪は先日、豪華客船で東京にやってきました。寿司好きの彼をガード下の寿司屋さんに招いたのですがひどく喜んでいました。彼らを見ていると本当の国際人とは外国語を流暢に操る人ではないことがしみじみとわかります。

日刊現代掲載

閉じる

ページの先頭に戻る