「07年、ニッポンの外交はダイナミックに動きます」
ジャーナリスト・手嶋龍一が語る 外交2007年問題
ブラウン管を通し静かな人気を集めていた、NHKワシントン特派員時代。NHK独立を機に書いた小説『ウルトラダラー』は、本邦初のインテリジェンス小説としてベストセラーに。いまや外交ジャーナリストとしてプロ筋から、メディアから、さまざまな年代の女性からにも読者層を広げているという。そんな手嶋氏に2007年外交の要諦と自らのことについて語って貰った。
——拉致や核の問題で、北朝鮮を含めた東アジア外交がクローズアップされていますが、07年の日本外交はどんな針路をとることになるのでしょうか。
手嶋 国際社会では、日本の人たちがそう自覚していないだけで、実はもう日本という国家は先代的には立派な核保有国なのです。日本は決断さえすればきわめて短期間に核武装することが可能だからです。アメリカの網膜にも、ロシアの網膜にも、中国の網膜にも、潜在的な核武装国として像をくっきりと切り結んでいる。2006年10月にライス国務長官が来日したときも、核抑止力の傘を日本にかざし続けると約束しました。核の傘で日本列島を包み込むという役割は自分たちが担う。従って日本が核兵器に手をのばすのは遠慮してほしい。ライス発言には、こうした重要なメッセージがこめられていたのです。ライス長官は、そのあと北京で中国側の首脳と会談しています。ここで、北朝鮮の核実験を契機に日本が核武装する危険がある。だから米中は日本を核保有国としないために、連携して北朝鮮に強い姿勢で臨もうと確認しあっているのです。
ちょうど35年前の運命の71年、キッシンジャー補佐官と周恩来総理が極秘のやりとりを交わしています。あのニクソン訪中に道を拓くための伝説的な交渉です。機密扱いがようやく解かれ、そのやりとりを知ることができるようになりました。周恩来が「アメリカは日本に核の傘を今後もかざし続けるのでしょうな」と持ちかけます。これを受けてキッシンジャーは深く頷いて「アメリカの核の傘は日本への核攻撃に備えたものです。アメリカが核の抑止力を日本に提供しなければ、日本という国は短期間のうちに核武装できるのですから」と応じています。まさに2006年と1971年の東アジア政局はぴたりと重なります。北朝鮮の出方を米・中・日の三国がにらみながら、新しい年、07年はダイナミックに動いていくでしょう。
——日本は核武装すべきか否かを議論しているのがいまの現状ですが、今後日本は一気に核武装にいたるのでしょうか?
手嶋 日本は決断さえすれば半年で核を持つことができるほどの能力を持っています。にもかかわらず、あえて核兵器は持つ意思がないことを国際社会に鮮明にすべきなのです。核武装の能力は備えているが、あえて持つ意思はないという道義的な高みに立って、国際社会、とりわけ東アジアに大きな影響力を行使するべきだと思います。ただ、そのためには有効な手段を手にしていなければいけない。それは国連の安保理の常任理事国になることです。拒否権のない二級市民などでなく、米中と同じ拒否権を持った一級市民たる。だが、いまの日本外交の現状ではなかなかに難しい。現に、2005年の春にみじめなほどの失敗を犯している。中国の強い反対で常任ポストを得られなかったと外交当局は釈明しています。だがあろうことか、日本の同盟国、アメリカが日本の常任理事国入りを葬り去ったのです。同盟も男女の関係同様に永遠などないのです。新しい年、07年は、そういう冷徹な時代を生き抜かなくてはならない水域に入るでしょう。
——日米同盟の空洞化が懸念されるなかで、日本は何をしなければならないのでしょうか。
手嶋 アメリカはイラクの地で傷つき、もうほとんど敗戦といっていい状況です。中間選挙では、有権者がこの戦争にNoという審判を下した。だが、兵は出すより、ひくことのほうがはるかにむずかしい。にもかかわらず、アメリカが撤兵することができれば、東アジア地域に関心を振り向ける余裕が出てくることになるでしょう。でなければアメリカはイラクに釘付けになり、それは金正日政権の思う壺です。日本にとっての急務は、“ブッシュのアメリカ”を東アジアに引き付けておくことです。しかし皮肉なことに、七発のミサイルを発射し、核実験をしてブッシュ政権の関心をひきつけているのは北の独裁者です。“ブッシュのアメリカ”が、イラクでのつまずいたことで、超大国アメリカの長き不在を子の東アジアで招いてしまった。07年という新しい年に日本外交が何をなすべきかは、明らかです。アメリカを一年でも、一ヶ月でも、一日でも、ここ東アジアにとどめ置かねばなりません。
——安倍首相の采配、指導力をどうご覧になっていますか。
手嶋 まだよくわかりませんね。ただ、スピーチのスタイル、文体といってもいいのですが、あれはすぐ変えたほうがいい。これは単にテクニカルな問題にとどまらない。人々との対話をどう進めるか、ということなのです。再チャレンジ―何という稚拙なコピーなのでしょう。麻生外相のスピーチはなかなかいいでしょう。プロフェッショナルが草稿を書いているからです。アメリカが全部いいわけではない。けれども、アメリカにあって、日本にない優れもの、それが政治の分野でふたつある。ひとつはスピーチライター、もうひとつはスポークスマンです。政権入りする要人は、側近を誰も連れて行かなくても、スピーチライターとスポークスマンだけは例外です。副大統領のチェイニーが、かつてペンタゴンに国防長官として入ったときもそうでした。どんな発言をするかは、政治家の命なのですから。ところが日本では、すべては官僚が握っている。政治家に言論の自由などないのが実態です。官房長官の記者会見も、実際は各省から上がってくる答弁要領に従っているだけです。
世界で一番優れたスピーチライターを持っているのはホワイトハウスです。何しろ財政力が桁外れです。最近では「悪の枢軸」スピーチを書いたデビット・フラムさん。彼はユダヤ系カナダ人で言葉の天才です。ブッシュ大統領の日常の会話をテープで繰り返し聞くうちに、いつしか本人より本人らしい物言いになってしまう。語彙の数、肺活量に応じた息の長さなど、大統領は草稿を読んだとき、もうすっかり自分のものだと信じてしまう。
——今、日本の雑誌では中国叩きをすると売り上げが伸びるとも言われています。中国との関係についてはいかがでしょう。
手嶋 私は中国外交に時に極めて辛口ですが、中国たたきのポピュリズムにはいちども手を染めたことがありません。雑誌には独創的な企画を望みたいと思います。中国政府は靖国に行かなければ、日本の総理を歓迎すると言ってきました。私は靖国参拝は日本の外交的孤立を招くとして反対しました。その一方で不参拝のカードを中国に差し出して、首脳会談をすることには反対してきました。今回は、この靖国カードを出さずに安倍訪中が実現した。これは素直に評価すべきでしょう。実は、日中関係の潮目が変わったのは、06年6月21日にドーハで1年ぶりに行われた日中外相会談でした。ポピュリズムに傾きがちなメディアは、こうした事実こそしっかりと報道すべきでしょう。
——手嶋さんはあまりご自分のことをお話しになりませんが、なぜNHKの記者になったのですか。今後の活動についても教えてください。
手嶋 僕のことなど誰も関心がないからですよ。ニュースバリューはゼロでしょう。父は北海道の炭鉱経営者で、昭和40年代になると斜陽化し、炭鉱をたたまなければなりませんでした。そんな関係で炭鉱のボロ株(株価が非常に低い株)をたくさん持っていたのですが、40年代の後半には過剰流動性でそんなボロ株がするすると値を上げた。それをアラビア石油の株に乗り換えたのです。これは僕が、銭洗い弁天のお告げがあったという母の判断に従って、僕が手がけたのです。何故、アラビア石油を―。名前が雄大だからですよ。それに石炭は石油に敗れたのですから。当時のアラ石株は、額面500円でほとんど値動きがなかったのですが、全部仕込み終わったときに、有名なアラビア石油の大相場がやってきました。まあ、ギャンブル運が強いのでしょう。ストップ高で連日高値を追い続け、沸き立つようでした。ほぼ手じまいにしたときが大天井でした。銭洗い弁天は偉大です。
だから自前のキャッシュはかなりありましたので、まったく働く必要がない。そんな折、ハヤカワ・ミステリを読んで横須賀線で読んでいたら、チェコの亡命詩人にしてダブル・エージェントがBBCに勤めていた。最後はいまのリトビネンコ毒殺事件のように暗殺されてしまいます。ああ、英国放送教会か。日本にも放送協会があったな。これなら、腰掛にはよさそうだとひらめいたのです。結局、長く席を置くことになりましたが、最後までプロフェショナルとして通用する自信がありませんでした。何しろ動機が誠に不純なのですから。職業の選択はまじめでなくては、とメディア志望の若者には言っています。雅子妃殿下の婚約のとき、日本のメディアに報道協定が敷かれていて報道できない。僕はこの談合に強く反対でした。だから、ワシントン・ポストに教えてあげたのです。読売が気づいて動き出しましたから。まあ、新しい年は、アイルランドのドネガル半島にでも隠棲して、ひっそりとあまり社会のお邪魔にならないように暮したいと思っています。
『ウルトラダラー』のできるまで、そしてスパイたちのこと
「第一級の外交ジャーナリスト」としての手嶋さんを 世間に認知させたのはやはり『ウルトラダラー』だった。 あのベストセラー小説と、いま世界を騒がせている スパイ暗殺事件のことなどーー。
ダブリンに現れた精巧な偽100ドル札、ウルトラダラー。東京の下町から7人の印刷工が姿を消し、アメリカの製紙会社からドル紙幣の原料が運び出され、スイス製の高度な印刷機がマカオで消息を断つ。バラバラに見える出来事はどうつながるのか。BBCの東京特派員が北朝鮮の謀略に迫っていく『ウルトラダラー』(新潮社)は、昨年、大きな話題を呼んだ。
——手嶋さんはなぜこの本を書かれたのですか。
手嶋 僕はもうずいぶん前からNHKには独立させてほしいとお願いしていたんです。それがようやくかなったので、いよいよ本を書こうかな、と。長く待っていただいていた新潮社出版部長の佐藤誠一郎さんに独立のことを伝えたところ、翌々日にはワシントンに飛んできてくださった。ありがたいことでしたが、これで書かざるを得なくなってしまいました。ノンフィクション作品もいいけれども、今度はスパイ・ストリーを、それもインテリジェンス小説という新しい分野に挑んでみましょうと勧められて、とんでもなく困難な壁をよじ登る苦行に身を投じることになってしまいました。ポトマック河沿いを歩きながら、佐藤さんにストーリーラインをお話し、そのあと東海岸のセント・マイケルズという小さな港町にこもって書き上げました。05年の夏の時点では、まだ現実になっていない。ですから、僕は「これは小説だ」といったのですが、佐藤誠一郎さんが「これを小説といっているのは著者たった一人」というコピーを帯に書いたのです(笑)。
印刷工の目撃情報、マカオの偽札など、物語であるはずのことが次々に現実になっている。日々のニュースがストーリーを追いかけ、フィクションがノンフィクションに変わっていくという、これまでにない小説だ。
手嶋 佐藤優さんと対談したとき、彼はこの本に148カ所の付箋をつけてきました。インテリジェンスの世界には、亡命したスパイから機密を聞き取る「聴聞官」という仕事があるのですが、付箋をめくる佐藤ラスプーチンの目はもう聴聞官のそれでした。ぞっとします(笑)。「手嶋さん、モスクワの北朝鮮大使館を高層ビルの48階から見下ろしている場面がありますね。あそこにあなたはいらっしゃった。そうですね」という風に。恐ろしい。だが、ラスプーチンの関心はそんなことにはない。僕の調査が、もうひとつ重要な観察ポイントに及んでいるのか、と探りを入れているのです。あんな危険な対談は受けてはいけません。速記の方は、ここに(笑)などと書き入れないでください。笑っていないのですから。
「ウルトラダラー」だけでなく、手嶋さんと佐藤優さんの対談本『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎新書)には、これまで知られていなかったインテリジェンス・オフィサーの世界が描かれていて興味深い。
——06年11月にはリトビネンコが放射性物質で殺害されるという事件が起きましたが、手嶋さんのようにさまざまな情報を握っていると、身の危険を感じることもあるのでは?
手嶋 先日、文藝春秋の対談に遅れてしまったのですが、そのとき佐藤ラスプーチンが真剣に心配してくれたそうです。根はやっぱりいい人なんですよ。ロシアの元スパイ・リトビネンコの暗殺事件は、ごく一般的には、プーチン政権という強権的な政権が、チェチェン問題で批判を続けるリトビネンコを消そうとした解釈されていますが、単純に過ぎるストーリーでしょう。彼はさまざまなビジネス、たとえば、武器の密輸、石油がらみのダーティ・ビジネスにも手を染めていた。亡命の地としてロンドンを選んだのは、KGBを含めてロシアの情報機関は、イギリスの秘密諜報部のコピーだからです。親近感があるのでしょう。そして微量でも、40億、50億円する核物質を買えるだけの資金力があるのは、国家以外では国際テロ組織アルカイーダだけだといわれています。核物質を売るビジネスの線上に、リトビネンコやアルカイーダの影を読み取って、MI6もMI5も動きつつあります。
ランティエ・インタビュー:多士済々