「日本外交の陰に『ジャパン・ハンド』あり」
-対日政策を手中にする米国の「ハンド」を知らずに、安倍外交は語れない-
春原剛氏との対談
『本の話』2006年12月号掲載
手嶋 七月五日未明、北朝鮮がミサイルを発射した時、マスコミはこぞって、小泉内閣の危機管理をほめたたえました。「安倍官房長官(当時)がいつでも官邸に駆けつけられるように、一週間前から自宅前にハイヤーを事前に待機させていた」 ― 政府が事前にミサイル発射のXデーを知っていたといわんばかりの報道が随所でなされた。
そうしたら、イギリスの友人が「このハイヤーは日本の情報機関が所有しているのか」としきりに尋ねてきました。民間会社のハイヤーだと事前に簡単に盗聴器が仕掛けられる。有事の際に官房長官が官邸に向かいながら各機関とかわす会話が筒抜けになりかねない。そもそも守秘義務のない運転手のそばでそういう会話をさらすことが、イギリス人の感覚では、想像できないのです。
しかもメディアがそれを非難するどころか、「危機管理かくあるべし」と報道するとは、日本人はいつの間にブラック・ユーモアがうまくなったのだろうと訝しがられるばかり(笑)。
春原 北朝鮮に向けた官房長官みずからの陽動作戦というわけでもないでしょうしね(笑)。
手嶋 インテリジェンスに通じた人間なら、報道されたことが「真実」か、「ブラック・ユーモア」か、すぐに見極められます。「外務省のラスプーチン」佐藤優さんの 『自壊する帝国』(新潮社) で感心したくだりがあります。一九九一年八月、モスクワにいた彼は、ゴルバチョフ軟禁事件へと発展することになる第一報を、東京からの電話で知ったというのです。「クレムリンの情報筋から既に連絡を受けていた」などと決して言わない。「まずラトビアの友人やリトアニアの共産党幹部に電話した」と、情報を得た経路を明らかにしている。そこから「さすがラスプーチン」というほど見事な動きを繰り広げています。それ以前に「ウソは書かない」という姿勢自体が、彼の作品、そして著者である佐藤さんの信頼性を裏打ちしている。
そういった点で、このたび春原さんが出された 『ジャパン・ハンド』 もまた、アメリカの対日政策に強い影響力を持つ「ジャパン・ハンド(知日派)」に迫りつつも、読者ウケを狙った「内幕モノ」とは一線を画す、第一級のノンフィクションになっています。
北朝鮮のミサイルをめぐる動きにしても、春原さんは「シーファー駐日米大使がXデーを知っていた」などという愚かなことは書きません。私の知るところでも、大使はXデーを知らなかった。直前に行なわれた日米首脳会談や独立記念日など、アメリカ本国との時差に振り回され、眠れなくて「ディスカバリーチャンネル」を見ていたら、ニュース速報が流れて初めて知った。
その代わり春原さんは、ミサイル発射後、在日米軍からシーファー、そして安倍氏へと、どのように情報が流れたかという、インテリジェンスの本質にかかわるところを正確に描いています。
「ウケ狙い」外交の危うさ
春原 「ウケ狙い」はジャーナリストだけでなく、政治家にも常に付きまとう危うさです。〇一年六月、小泉(前)首相の初訪米の会見取材後、私と同じくワシントンに駐在していた手嶋さんは早くも「小泉首相の日米同盟堅持路線はウソっぽい」とおっしゃっていましたね。今振り返ると確かに、小泉前首相は自分の人気取りのために、ブッシュ大統領との蜜月関係を利用しただけで、「日米同盟」そのものには貢献をしなかった。
『ジャパン・ハンド』に詳しく書きましたが、「逆V字論」というものがあります。クリントン政権までの日米関係は首脳同士が疎遠でも、下部の事務レベルでは連携する「V字型」だった。ブッシュ政権になると、「ジャパン・ハンド」の活躍で上から下まで密接な「I字型」になる。ところが、ブッシュ二期目に主だった「ジャパン・ハンド」が政権を離れると、つながっているのはブッシュ・小泉両首脳だけという「逆V字型」になってしまった。そういった日米関係の「空洞化」を埋め、再び「I字型」にするために、安倍首相はこれから大変な努力を要するでしょう。
手嶋 小泉前首相は自民党の派閥を壊してしまったため、世論を除けば自分の強固な支持基盤はなかった。そこで海の向こうの「ブッシュ派」を存分に活用した。要するに、彼は本来の外交をしたのではなく、アメリカ相手に「永田町政治」を繰り広げたと言っていい。だから、「日米首脳同士の関係がいい」イコール「日米関係がいい」ということにはなりません。
春原 「ジャパン・ハンド」たちも「空洞化」に懸念を抱いているものの、それを認めては自分たちの存在意義に関わる以上、「今は日米蜜月だ」と喧伝するしかない。ところがそういった彼らの苦渋に満ちた言い分を日本のメディアが何の検証もなく垂れ流す。それはメディアの力不足であると共に、「アメリカは日本を常に気にしている」と言われる方が心地よい読者や視聴者に対する「ウケ狙い」でもあるのです。
手嶋 今度の北朝鮮危機についても、「日米が一体となって対処」と伝えられれば日本人には気持ちがいいかも知れない。「アメリカの関心は中東にあって、東アジアにはない」などと率直に言われると、読者が離れていく(笑)。
春原 〇二年九月の小泉(前)首相の訪朝も、日本ではウケがいいですが、これは大きな間違いです。「首相の訪朝」という最高の外交カードを拉致や核、ミサイルといった問題に対してどう効果的に切るかを、同盟国アメリカと綿密に相談すべきだったのに、「独自外交」の美名の下にないがしろにされてしまった。
手嶋 日米同盟は「朝鮮半島」「台湾海峡」という二つの有事のシナリオのもとに成り立っている安全保障の盟約である以上、それらについて重大な現状変更が起こる時には、同盟国に知らせるのが「同盟の作法」であり原則です。
小泉(前)首相から直前になって訪朝計画を告げられたアーミテージ(元国務副長官)は、その温厚な性格からは考えられないほど不快感を露わにし、アメリカ大使館にいたCIA東京支局長を呼びつけ、訪朝の動きがつかめなかった責任を真っ赤な顔で追及したそうです。こういうことが続くと、アーミテージのような「ジャパン・ハンド」だけでなく、CIAその他、いろいろな関係者がメンツを失い、日米の「空洞化」はいたるところで進んでいきます。
春原 でも、仕掛け人である外務省の田中均アジア大洋州局長(当時)は、「自分はアメリカに伝えた」と主張しています。
手嶋 「自分の発言を注意深く聞いていればわかったはずだ」などというのは、同盟の相手国に対して、ありえない言い訳です。
春原 そういった日本側の言動一つ一つが、「ジャパン・ハンド」のメンツを失わせ、「空洞化」をもたらしています。イラク戦争における小泉(前)首相の姿勢にしてもそうです。二〇〇三年十二月のイラクへの自衛隊派遣の記者会見でも、「アメリカは大きな犠牲を払いながら努力している」、だから助けましょうといった情緒的なものでした。本来の同盟国であれば、「中東の不安定化が原油を始めとする国際経済に大きな影響を与え、ひいては世界の安定が脅かされる。だから自衛隊を派遣することは日本自身の利益でもあると同時に、同盟の要諦だ」という説明を首相みずからがきちんとしなければならなかった。
手嶋 小泉前首相だけでなく、外務官僚にも大きな責任があります。「大量破壊兵器」「アルカイダとのつながり」というイラク攻撃の大義名分が誤っていたのにもかかわらず、当時の竹内行夫事務次官に代表される外務官僚が、一昔前の湾岸戦争時の国連安保理決議、いわば“古証文”を拠り所にして、急場を凌いだ。実際、この安保理決議は政府がイラク戦争を支持する公式な拠り所となったのです。
数カ月前に、「サンデープロジェクト」で武部勤さん、冬柴鐵三さんという自公両幹事長(当時)とご一緒したのですが、二人ともイラク戦争について、旧条約局の課長補佐が書いたような「古証文」を丸暗記したかのごとく答えていました。武部さんには同じ道産子のよしみもあるので、僕は親切にも放映中ではなくCMの時に忠告しました。そんな言い訳はやめて、「古証文」を生み出した外務官僚を叱るべきだったね。
実際にイラク戦争前、日本の支持を取り付けようとしたアーミテージは耐え難い思いをしたと言っていました。「同盟国として支持してくれるか」と> 訊ねると、竹内事務次官らは「それは政治家が決めることだ」と言い逃れる ― 実際は旧条約局の官僚がすべて決めているのにね。そうやって逃げているうちにアメリカがイラク攻撃を始めると、すかさず用意していた答弁要領を取り出して言いつくろう。かつては「憲法」を盾にして、「同盟」の義務を果たさなかった日本外交は、今度は「国連決議」に逃げ込んでいるのです。
やっかいな反米ナショナリズム
春原 イラク戦争を支持するにせよしないにせよ、政治家も官僚も逃げてばかりいて、きちんとした説明を怠ったからこそ、日本人の多くから「反イラク戦争」「反ブッシュ感情」という、強烈なしっぺ返しをくらったのです。
手嶋 こういった反米感情が、いまや同盟の基盤を揺るがすほど大きくなっています。『ジャパン・ハンド』の最後に、「日本人一人一人が改めてこの同盟関係の意味・意義を自らに問いかけ、自分なりの『答え』を見つけるべき」と書かれていますが、この「自分なりの『答え』」というのが難しいですよね。
「日米同盟はいらない。イラクを支持しない」という選択肢もありえます。しかしながら、それは同時に、北朝鮮の核が脅威を増しているときにアメリカに頼れないということと裏腹なのです。そのことがきちんと論じられないまま、一方では不健全なナショナリズムが生まれ、「反米」「自主独立」「日本の核武装」という機運だけが盛り上がっています。
春原 やっかいなのは、こうした「反米」が実は「親米」の裏返しの側面があることです。知識人などによくあることですが、アメリカに憧れて留学したところ、なにか嫌な目にあった末に、帰国するとバリバリの「反米主義者」になって「自主独立」を唱えだす。
最近、「同盟」の基軸として自由や民主主義など「普遍的価値の共有」を目指すべきだという議論があります。安倍首相も『美しい国へ』(文春新書)で書いているし、彼と気脈を通じる「ジャパン・ハンド」のグリーン前大統領補佐官もしきりに唱えている。
けれども、そこには落とし穴があります。日本人の大多数はアメリカと価値観を完全に共有しているとは思っていない。「民主主義」や「言論の自由」という概念にしても、我々とはなにかしら異質な気すらする。ですから安易にアメリカが「価値観の共有」を主張すると、反米ナショナリズムを刺激しかねない。グリーン氏に会った時にそう注意を促したところ、「バリュー(価値)が駄目なら、アイディア(考え)の共有はどうか」と言っていました。一方、彼より世代が上のアーミテージは「インタレスト」、つまり、あくまで利害の一致が同盟には必要だと言う。同盟の基軸は「価値」か「利害」か、その辺をこれから整理する必要があります。
手嶋 「価値」というのは重要な問題で、たとえば中国や韓国だけでなく、アメリカも靖国神社の「歴史認識」を問題にしてきている。「靖国問題」に対してアメリカ側はどのように動いたかも、春原さんの新著には詳しく描かれていますね。こうした日米双方の一人一人の人間関係を通して、日米関係について地に足のついた「自分なりの『答え』」を見つけていくために、まさに『ジャパン・ハンド』は必ず読まなければならない本なのです。
文春新書『ジャパン・ハンド』春原剛著・発売中