手嶋龍一氏に聞く:今回の中間選挙には歴史的価値がある
■アメリカの中間選挙で民主党が圧勝しました。今回の選挙で、手嶋さんが注目している点を教えてください。
手嶋 僕がいちばん注目しているのは、アメリカの民主主義には復元力が備わっていた、という点です。The way of American democracyが機能していることが、選挙のかたちではっきりと示された。
アメリカは多様です。ブッシュ大統領のアメリカもあるが、違う人たちのアメリカ、例えば草の根のアメリカもある。どちらも平等です。そして自由です。現政権に過ちがあれば、それを正そうとする意見が台頭する。アメリカをアメリカたらしめている自由の理念が、今回の選挙ではっきり示された。「復元力がある」ことが民意のかたちでしっかり表れたのです。
いま、もっとも懸念すべきは、アメリカが掲げている「自由」「平等」といった理念が輝きを失ったことです。少なくとも、輝きを失っているように見える。ブッシュ大統領のアメリカは、イラク戦争の泥沼に足を絡め取られて、のたうちまわる苦しみのなかにある。しかっし、泥沼に足をとらわれていることよりも、泥沼に足をとられることによって理念が輝きを失うことの方が重大です。
東アジアやヨーロッパの人たち、とりわけ若い人たちには、アメリカの理念がかすんで映っています。日本の若い人のなかには、アメリカが嫌いで、英語の勉強をやめてドイツ語にしたという人がいます。笑い話でなく…。ヨーロッパの若者にも「アメリカ留学は嫌だ」いう人がたくさんいる。僕は、アメリカに比較的長くおり、今も住んでいるので、アメリカのことを少し知っている。その立場から見ると、「これは大変なことだ」と思っていた。
選挙が戦争をやめるきっかけになったことは、歴史的にまれ
さらに、国家の主導者が犯した過ちを改めさせる内在的な力がアメリカにあることを、人々が選挙によって示した点が大きかったと思います。少なくとも、イラク戦争をやめるきっかけになりますよね。そういう民意をアメリカ自らが示した、という点で、今回の中間選挙は、歴史に記録されてもいい、ヒストリカルな出来事だったと思います。
■ベトナム戦争は米国民の民意によって停戦となったのでは?
手嶋 ベトナム戦争は、やや近いですね。でも、あれは、出てしまった現実にジョンソン大統領が屈服したのだと思います。ベトナム戦争は、ケネディー大統領が始めて、同じく民主党のジョンソン大統領が拡大した。その末路は悲惨で、5万人近い若者の命が失われた。このために、ジョンソン大統領は次の大統領選挙に出馬すらできない状態に陥りました。その結果、「ベトナム戦争を終わらせる」と公約したニクソン大統領が当選する。
選挙によって方向が変わったわけではなく、選挙の前に悲惨な現実があったんです。今回のように「イラクの戦争がアメリカの大儀を傷つけている」として民意がはっきり「NO」と言ったのとは、ちょっと違いますよね。
イラク撤兵はいばらの道
■今回の中間選挙によって方針が変わって、米軍が撤兵に進む可能性はあるでしょうか?
手嶋 なかなか、うまくはいかないでしょう。ブッシュ政権は「イラク戦争の方向を転換する」、もっと正確に言うと「したい」と思っているんでしょうけど、八方ふさがりの状態です。
超党派の諮問機関、「イラク・スタディ・グループ(ISG)」(「ベーカーコミッティー」とも呼ばれる)が、撤兵に向けてのシナリオをいくつか提案しつつあります。しかし、はっきりしたものはない。民主党も「撤兵すべきだ」と言っているが、「こういうふうに兵を引くべきだ」という具体策については言っていないですよね。それほどに難しい。
中東情勢とのからみで言うと、「ベーカーコミッティー」の提案は注目に値すると思います。まずアラブ強硬派、シリアとかイランとの関係改善を通じて、中東全体の地合いをよくする。それを基盤に、撤兵のきっかけをつくっていこうということです。
しかし、シリアはともかく、イランとの関係を改善するためには、イランに対してアメリカが突きつけている核放棄の圧力を弱めねばならない。すると、中東におけるイランのプレゼンスが拡大することになる。いっぽうイランの存在感が増すことには、エジプトやヨルダンといったアラブ周辺国から猛烈な反発があります。アラブのみならず、トルコなどのイスラム圏からも。この一事をもってしても、兵を引くこと、そのための地合いをつくることがいかに困難な道であるかは明らかです。
イラク問題が軽くなれば、日米同盟の空洞化を回避する機会につながる
■日本への影響について伺います。経済・貿易問題と北朝鮮問題の二つがあると思います。それぞれ、今後、どのような影響があると思われますか?
手嶋 経済と国際政治・外交は、分けて考えないほうがいいと思うんです。いずれも、日米同盟の問題と考えたらいい。今度の中間選挙の結果は、長期的には日米同盟にとって非常にいいことだと思います。
まず日米同盟の現状についてお話しましょう。私は日米同盟には空洞化の兆しがあると前から申し上げています。
安倍新政権は「日米同盟こそが東アジアの日本にとっての硬き砦(とりで)だ」と言っています。これは単なる安全保障の問題ではなく、経済も含めたもっと広い意味ですね。それについて異を唱える気はありません。しかし「硬き砦でなければいけない」ことと、現に「硬き砦である」ことは区別しなければいけない。
つまり、本当に硬き砦なのかどうか疑問があります。それは中東情勢だけを見ても分かります。いま、アメリカはイラクの地で足を絡め取られており、東アジアにおけるプレゼンスは当然のことながら落ちている。これは、空洞化の一つの表れですね。
日米間についても大きな問題があります。端的な例は、日本とアメリカが協議をした共通の「東アジア戦略」を持っていないこと。台頭する中国とどのように切り結んでいくのか、その共通戦略がまったくないんです。こんな同盟はありませんよね。イギリスの戦略家が有名な言葉を残しています。「共通の戦略なき同盟はやがて衰退の運命をたどっていく」
このケースについてだけ言うと、政府は隠しているのではなく、戦略自体がないから言えないのです。僕らのように外交をウォッチしている人間は、毎日、この問題だけをカバーしているといってもいい。なのに、僕らはそれを挙げることができない。
ブッシュ政権もしくはその後継の政権がイラクから手を引くことができれば、アメリカは、東アジアに目をふり向ける余力が出てきますよね。そうすれば、対中国戦略を中心とする東アジアの新しい戦略を練り上げていくことができるかもしれない。
■日米同盟を強化するために、日本の政府はいま何をする必要があるのでしょうか?
手嶋 日本も、日米同盟の再建に主体的に取り組まなければならないと思います。自然発生的に再建できるものではありません。
まず、日米同盟が空洞化している事実を直視しないとだめです。政府のトップは「空洞化している」などということを絶対に言いません。プラスになることは一つもありませんから。でも、言わなければ、そういう前提に立った仕事を官僚たちもできません。その結果、アメリカとの戦略上の対話が遅れることになります。
■この間、安倍首相は5人の首相補佐官を任命しました。補佐官を置いた「教育」とか「拉致」といったテーマは、安倍首相の力の入れどころを示しているのだと思います。日米関係担当の補佐官を立ててもよかったかもしれませんね。
手嶋 さて、どんな人がいいでしょう? 僕には関心がなかったので分かりません。
アメリカの2つの心臓が相互けん制する
■短期的に見ると、やはり北朝鮮問題の進展が懸念されます。民主党が議会を制したことで、国連大使のボルトン氏の承認が遅れるという話がでています。
手嶋 議会が力を持つことは重要なポイントです。政府に大きなプレッシャーをかけるができます。アメリカの政治には常に2つの心臓があると言われています。1つはホワイトハウス。もう1つはキャピトル・ヒル、つまり議会ですね。そして、時に議会の心臓の方がより力を持つ。今がたぶんそうした時期です。
アメリカの議会は日本と違って、多数派がすべてのリーダーシップを握ります。各委員会の委員長は民主党が独占します。予算の提出権、法案の提出権、人事権、上院では条約の承認も含めて全部握る。各省の人事についてはいちいち否決することはありません。でも、政府とすれば、いちいち承認を取らなければいけないというだけでプレッシャーですよね。
短期的には、北朝鮮が外交上の攻勢に出てくる可能性があります。とりわけ6カ国協議の運営は、たいへん厳しいことになると思います。主要メンバーであるアメリカの足元が揺らぐことになったわけですから、北朝鮮にとってこんなに好都合なことはない。「してやったり」と思っていると思いますよ。
ボルトン氏の承認の問題は、瑣末な話だと思います。
民主党が主張する米朝2国交渉は危険
■民主党は米朝関係について、「6カ国協議よりも米朝2カ国で解決する」という考えが強いようです。これは、今後の北朝鮮問題に影響がありますか?
それはすごく重要です。もともと民主党と国務省のなかには「米朝2カ国間でやるべきだ」という意見があります。
いっぽう、北朝鮮も2カ国でやりたいわけです。理由は2つ。1つは、超大国アメリカを交渉のテーブルに引き出し正々堂々と対峙することで、現政権の権威を高められる。これは現政権の体制保全につながります。もう1つは、大きなお土産が期待できること。例えば1994年のジュネーブ合意では、IAEAの査察を受け入れることなどを条件に、米国から重油提供を引き出しました。多国間交渉では、いずれも期待できません。
私は、いま交渉の入り口の段階で、米朝が2国で交渉することには反対です。喜ぶのは金正日政権だけなわけで、向こうの思う壺です。もし2国間で交渉するならば、「何か大きな進展がある」という本当に確かな裏打ちが必要でしょう。「核の放棄をする」という約束を取り付け、それを検証する手段も決める。そういう裏打ちをすべて取ったあとで、最後のフィニッシュとして米朝2国で交渉するなら別ですが。
もっと本質的なことを言えば、もしアメリカが米朝2国間のテーブルに着くならば、「いざとなれば伝家の宝刀を抜く」つまり軍事力を行使する覚悟でやるべきです。「いざとなったら襲いかかってきて、体制を転覆するかもしれない。イラクと同様になる」といった危険を感じないなかで北朝鮮が妥協することはありません。1994年以降の経過を見ると、北朝鮮と交渉するアメリカには、伝家の宝刀を抜くという覚悟が全然ないんですよね。
日本は平壌宣言を破棄すべき
■民主党は、なぜ2国間協議を主張するのでしょう? 何か得があるんでしょうか?
手嶋 安全保障の本質が分かっていない人が多いのではないでしょうか。かつての失敗を、失敗と受け取っていないのでしょう。だまされたと思っていないのではないでしょうか。
ただ、日本も人様のことを言えた義理では全然ありません。平壌宣言は明示的に破られています。平壌宣言は破棄すべきだと思いますね、だって破られているんだから。
平壌宣言について言うと、私はこの宣言自体が間違っていたと思い増す。例えば、この宣言には拉致のことが1行も書かれていません。こんな宣言など意味があるでしょうか。拉致の問題は、国家の主権、主権国家として最低限の姿かたちが整っているかどうかを意味するものです。国民が外国の官憲に連れ去られる…こんな国に国民は税金を払うでしょうか? 払わないですよね。これは、私が「ウルトラ・ダラー」を書いた動機にもなっています。
北朝鮮は、日本の法律を守ることもなく、「国民が安全に暮らせる」という原則を侵しているわけです。これについては毅然とした対応が必要ですね。
また、平壌宣言は、その交渉の記録がまったく残っていないのです。総理大臣が戦後初めて平壌を訪れて両国の関係を開いていくというのに、その記録がないなんておかしい。これは、国家に対する背徳行為であるわけです。だから、間違っているんですよね、平壌での会合自身がね。
(聞き手:森 永輔=nikkei BPnet編集)