手嶋龍一

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「テロと戦う超大国の孤独」

― 映画に見る「9・11」の5年後 ―

『読売新聞』 2006年9月13日掲載論壇

―9・11事件を描いた映画 『ユナイテッド 93 』 (全国公開中) 、『ワールド・トレード・センター』 (10月7日よりロードショー) が注目を集めている。事件当時、特派員として現場に立ち続けた、外交ジャーナリストで作家の手嶋龍一さんに、映画から見えてくる5年後のアメリカを論じてもらった。

「ニューアーク空港を発ったユナイテッド 93 便はアレンタウンの上空をかすめて航行している」

ハイジャック機を追う連邦航空局の管制官が叫ぶ。映画 『ユナイテッド 93 』が映しだすシーンが突如として鮮やかな記憶を蘇らせ、あの日の自分に戻っていた。アパラチアン山脈に沿って南へと渡るハクトウワシが翼を休めるホークマウンテン。かつて取材で訪ねたことのあるあの美しい山麗を眼下に93便は消息を絶ったのだ。

NHKワシントン支局のスタジオで生中継を始めて三十分近くが経っていた。支局の窓からはペンタゴンの火炎が黒々と見えた。三機目のハイジャック機が国防の中枢に自爆攻撃をしかけたのだ。メモを持った同僚がスタジオに駆け込んできた。

「ペンシルヴェニア上空の四機目は米議会を狙っています」

自爆機が首都ワシントンをめがけ襲いかかろうとしている。だが、なぜか恐怖心は希薄だった。ハイビジョンの中継回線を切断されたらどこで放送を続けようなどと考えていた。そのとき、93便の機内では異変が起き、旅客機は44人の乗員・乗客すべてを道連れにシャンクスヴィルに墜落していった。

だが、機内でどんな事態が起きたのか、誰にもわからない。グリーングラス監督は、遣族に長時間のインタビューを試みて、彼らの愛する者が最後の瞬間に電話で伝えた言葉をたよりに密室の模様を描いてみせた。

ハイジャックされた他の旅客機はどうやら自爆機に仕立てられたらしい。だがわれらが93便はそうはさせない―。こう決意した乗客たちはテロリストから操縦桿を奪取しようと試みる。

この気鋭の監督は極少の物証で仮説を裏づけてもなお埋めきれぬ探い闇に直感力で迫っていった。機上の戦いこそやがて始まるアメリカの対テロ戦争の先駆けとして活写された。同時に監督はテロリストにも乗客とおなじ眼差しを向け、この作品を「アメリカの映画」にはしようとしなかった。

オリバー・ストーン監督の 『ワールド・トレード・センター』 も被災現場で生き埋めになった湾岸局警察官のドラマを描いて9・11事件に挑んでいる。海兵隊の元軍曹力ーンズは教会での祈りのさなかに神の啓示を受ける。被災現場でなお助けを求める者がいる。救い出せ、それがお前のミッションだ―。彼は瓦礫の奥底深くにわけいって、助けを待つ二人の警察官を見つけ出す。映画の終わりに「力ーンズ軍曹はその後イラク戦争に志願した」とテロッブが流れていた。

アメリカの国土に体当たりした四機のハイジャック機は、超大国をアフガニスタンからイラクへの戦争へと向かわせてしまった。ブッシュ大統領のアメリカは自由の理念の旗を掲げて、イラクの独裁体制を覆す、と力の行使に踏み込んでいった。その果てにいま、アメリカはイラクの戦場でのた打ち回り苦しんでいる。この戦争に付き従った同盟国の指導者は自国民の批判を浴びて失脚し、超大国はいま深いい孤独のなかにある。

あの日から五年の歳月の後に完成した映像はそんなアメリカの姿を力ーンズ軍曹と二重写しにして鮮烈なメッセージを放っている。

読売新聞 2006年9月13日掲載

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